岐阜市にある真言宗醍醐派の寺、岐阜善光寺。天正10年(1582年)3月、武田家の滅亡により、当時、信州から甲斐(甲府)の善光寺に遷されていた善光寺の秘仏(善光寺如来=阿弥陀三尊仏)を織田信長は岐阜城下に運びます。本能寺の変、尾張へと遷されますが、岐阜の地には織田秀信(織田信長の孫)が稲葉善光寺堂(岐阜善光寺の前身)を創建しています。
織田信長が善光寺の秘仏を安置したのが始まり
戦国時代、甲斐の武田信玄は川中島の合戦による類焼を恐れて、永禄元年(1558年)9月15日、信濃・善光寺の秘仏を甲府に建立した甲斐善光寺(かいぜんこうじ)に移しています。
天正10年(1582年)3月、天目山で武田勝頼が自刃し、武田家が滅びると、秘仏は甲斐を攻めた織田信長の子・織田信忠によって岐阜(伊奈波神社の霊域)に移されたのですが、本能寺の変で信長が討たれると、尾張国甚目寺(現・愛知県あま市)へと遷されます。
岐阜善光寺は、信長の孫・織田秀信が、かつて善光寺の秘仏が祀られた地に稲葉善光寺堂(伊奈波善光寺堂)を建立し、善光寺如来の分身を祀ったのが始まり。
当初は伊奈波神社別当の満願寺と安乗院とによって守られていましたが、明治の廃物棄釈・神仏分離で満願寺が廃寺となり、安乗院が岐阜の善光寺となっています。
現存する本堂は明治24年の濃尾大震災で全焼後、大正初年に再建されたもの。
阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の3体は火災を逃れ、往時のものが現存。
初詣や2月3日の『節分星祭り』には多くの参詣客が詰めかけます。
ちなみに善光寺の本尊(秘仏)は、戦国時代の荒波に揉まれて、信州から、甲州、そして美濃。
美濃から尾張へと旅を続けます。
本能寺の変で織田信長が討たれると、信長の次男・織田信雄は本尊を尾張の甚目寺に移し、さらに豊臣秀吉が京の方広寺、徳川家康により遠江・浜松の鴨江寺に移され、その後、ようやく信濃・善光寺に帰還するという戦国時代の歴史をそのままに反映する長い旅を続けたのです。
岐阜善光寺 | |
名称 | 岐阜善光寺/ぎふぜんこうじ |
所在地 | 岐阜県岐阜市伊奈波通1-8 |
関連HP | 岐阜観光コンベンション協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR岐阜駅・名鉄新岐阜駅から岐阜バスまたは、名鉄バス長良橋方面行きで10分、井奈波通下車、徒歩3分 |
ドライブで | 東海北陸自動車道岐阜各務原ICから約11km。または、一宮木曽川ICから約13km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 岐阜善光寺 TEL:058-263-8320/FAX:058-263-3635 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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