岐阜県可児市にある土岐明智氏の居城で、明智光秀生誕の城といわれるのが明智城(明智長山城)。鎌倉時代後期、康永元年(1342年)、長山に土岐頼兼(ときよりかね)が城を築いたのが始まりとされ(『美濃国諸旧記』)、土岐頼兼は、明智と改名し、代々の居城にしたと伝えられています。
明智光秀生誕の城と伝承される山城
土岐頼兼は、後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒計画に参加し、正中の変(しょうちゅうのへん)で没しています。
戦国時代には、明智光安(あけちみつやす=明智光秀の叔父、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』では西村まさ彦が明智光安役)が城代を務め、明智光秀は、落城まで30年をこの城で暮らしたといわれています(ただし、信頼性のある史料で、生年、父親などは記載がなく、『美濃国諸旧記』も江戸時代の記録のため定かでありません)。
弘治2年(1556年)、稲葉山城主・斎藤義龍(さいとうよしたつ=斎藤道三の子)が父の道三を討った長良川の戦いの際、斎藤義龍が明智城を攻め、落城しています。
『明智軍記』に、明智光秀は明智家再興を託されと記され、落城迫る明智城から朝倉義景を頼って越前に落ち延びています。
本丸に至る明智城址散策道が整備され、北麓に復元された大手門をくぐると石畳の桔梗坂(ききょうざか)が続き、本丸へはのんびり歩いて15分ほど(名鉄広見線・明智駅から本丸跡まで徒歩30分)。
令和2年の大河ドラマ『麒麟がくる』の放送を記念して本丸跡に明智光秀のブロンズ像を建立。
西側のには展望台が設置され、明智荘、右奥に織田信長の小姓として知られる森成利(もりなりとし=森蘭丸/本能寺の変で明智光秀軍に討たれる)の居城、美濃金山城(続日本100名城)を眺望します。
山麓(大手口)の天龍寺には明智氏歴代の墓所と伝わる墓石群があり、光秀公御法要が営なまれています。
なお、恵那市明智町にも明知城がありますが、遠山景行(とおやまかげゆき)など明知遠山氏の居城。
明智城 | |
名称 | 明智城/あけちじょう |
所在地 | 岐阜県可児市瀬田長山 |
関連HP | 可児市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄広見線明智駅から本丸跡まで徒歩30分 |
ドライブで | 東海環状自動車道可児御嵩ICから約2.5km |
駐車場 | 花フェスタ記念公園駐車場を利用 |
問い合わせ | 可児市観光協会 TEL:0574-50-7056 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag