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光恩寺

古くからの舟運の歴史を残す利根川の渡船、赤岩渡船(群馬県千代田町)の渡船場から徒歩5分の位置に建つ真言宗の古刹が光恩寺。寺伝によれば開基は飛鳥時代に高句麗より来日した渡来僧の恵灌(えかん)という名刹です。さらに814(弘仁5)年、空海(弘法大師)が密教道場として再興。

空海再興と伝わる利根舟運で栄えた赤岩の名刹

空海再興の折に空海が自刻したという木彫地蔵が安置されたことから、地蔵院光恩寺と呼ばれるように。
鎌倉時代初期に一帯を治めた佐貫氏が赤岩城を築き、兵火などで堂宇を失いますが、1321(元応3)年、後醍醐天皇が焼失した殿堂を再建した際、赤岩山の山号も賜って「赤岩山地蔵院光恩寺」となりました。

境内には前方後円墳(堂山古墳)もあり、近隣に多数の古墳群があることから、この辺りが古墳時代から繁栄した地であることがよくわかります。
また最盛期には利根川の舟運などを活用した地方豪族の氏寺としても栄え、僧院16坊、末寺3000余を有するほどの勢いでした。

その後、1440(永享12)年の結城合戦(ゆうきかっせん)などの戦乱で一時廃れますが、1648(文政13)年、3代将軍・徳川家光に保護され復興。

その後もたびたび堂宇を焼失し、現在の建物は明治5年の再建。
庫裏(くり)と客殿は国の登録有形文化財。

地蔵菩薩画像板碑などにも注目を

本堂は明治5年の再建
地蔵菩薩画像板碑

本尊は木造不動明王坐像で、阿弥陀三尊像は群馬県の重要文化財。
地蔵菩薩画像板碑(じぞうぼさつがぞういたび)は、1271(文永8)年の作で、群馬県の文化財に指定されています。
地蔵菩薩が石の板に刻まれたもの(画像板碑)で、弘法大師の「爪引(つまび)き地蔵」の名で親しまれてきました。

寺宝の銅五種鈴(どうごしゅれい)は、鎌倉時代につくられたと推定される真言密教法具の銅製の鈴。
宝珠鈴(ほうじゅれい)、宝塔鈴(ほうとうれい)、五鈷鈴(ごこれい)、三鈷鈴(さんこれい)、独鈷鈴(とっこれい)の5種類がまとまって残る数少ない貴重な文化財で国の重要文化財に指定されています。
梵鐘も国の重要美術品。

春秋(3月28日、11月23日)の『不動尊大祭』には多くの参詣者を集め、『春季不動尊大祭』では裸足で火の上を渡る「火渡り」の荒行も実施。

荻野吟子の生家の長屋門が移築現存!

荻野吟子の像
荻野吟子の生家の長屋門

敷地には、日本最初の女医・荻野吟子(おぎのぎんこ)の生家の長屋門(国の登録有形文化財)も移築されています。
荻野吟子は、明治18年、医業開業試験に合格して、日本公許登録女医第1号となりました。
本郷湯島で開業した後、再婚し、北海道の現・今金町に渡り、さらに、現・瀬棚町に開院しましたが、夫の死後、東京に戻っています。

出身地は利根川のすぐ対岸の武蔵国幡羅郡俵瀬村(現・熊谷市俵瀬)。渋沢栄一(深谷市)、塙保己一(本庄市児玉町)と並んで、埼玉県三大偉人に数えられています。

長屋門は明治18年、荻野家が資産を処分した際、光恩寺に移築されたもの。
荻野吟子記念館は、生誕地である熊谷市俵瀬に建っており、熊谷駅と赤岩渡船(葛和田の渡し)の発着する葛和田を結ぶ路線バスも通ります。

荻野家の生家跡には長屋門が復元されていますが、ホンモノはこの光恩寺に移築されています。

光恩寺
名称 光恩寺/こうおんじ
所在地 群馬県邑楽郡千代田町赤岩1041
関連HP 光恩寺公式ホームページ
電車・バスで 東武伊勢崎線川俣駅からタクシーで20分、JR高崎線熊谷駅からタクシー40分
ドライブで 東北自動車道館林ICから約15km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 光恩寺社務所 TEL:0276-86-2157
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

熊谷市立荻野吟子記念館

2021年7月18日

光恩寺長屋門(荻野吟子生家長屋門)

2017年11月11日

赤岩渡船

2017年11月11日

 

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