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桐生天満宮

桐生天満宮

桐生の総鎮守として尊崇を集めるのが群馬県桐生市の桐生天満宮。社伝によれば景行天皇(記紀に登場するヤマト王権の君主で日本武尊の父)の御代に天穂日命(あめのほひのみこと)を祀る磯部明神として創建されたという古社。徳川家康ゆかりの社で、桐生新町(桐生新町重要伝統的建造物群保存地区)は門前町です。

徳川家康は関ヶ原合戦の際に戦勝祈願も

文治3年(1187年)、桐生氏(きりゅうし)の祖である桐生綱元が桐生の地に住んだ際にその氏神となり、観応年間(1350年〜1351年)に、京の北野天満宮(主祭神は菅原道真)から分霊を勧請して桐生天満宮に改め、桐生領54村の総鎮守となったもの。

天正9年(1581年)、徳川家の祈願所となり、関ヶ原合戦の際には新田義貞が旗揚げしたという由来に倣い、軍旗に用いる旗絹を神前に供えて戦勝祈願したと伝えられています。
小山評定(現在の栃木県小山市で、関ヶ原合戦直前に行なわれた徳川軍の作戦会議)後、小山にいた軍を関ヶ原に帰す時に、厩橋城(まやばしじょう=前橋城)の城主・平岩親吉(ひらいわちかよし=今川義元の人質時代から家康に付き従った忠臣で、徳川十六神将のひとり)を介して旗絹を求めたところ、1日にして2410疋もの旗が集まり、東軍の勝利を陰で支えたのだといわれています。

その結果、凱旋を吉例として境内で織物市が始まったとも。

「岩の上の天神」と称されるように建つ本殿・幣殿・拝殿は岩上に建ち、本殿・幣殿は、寛政5年(1793年)の築で、拝殿は享和2年(1802年)築で、いずれも国の重要文化財に指定。

毎月第1土曜(1月は成人の日に実施、11月は七五三のため大安、友引、先勝の際には休会)には80店ほどが出店する『桐生天満宮 古民具骨董市』も開催。
川越成田不動尊蚤の市(川越骨董市)と並んで関東でも有数の定期骨董市となっています。

レトロな家並みの残る桐生新町は門前町!
桐生新町(桐生新町重要伝統的建造物群保存地区)は、徳川家康の命により、天正19年(1591年)〜慶長11年(1606年)年に造られた町。
基点を桐生天満宮とし、下瀞掘(新川)を掘削し、現在の本町六丁目まで町並みを延伸させた際に止めに浄運寺を配している(桐生新町の南の要)ので参拝の際にはご確認を。
「桐生は日本の機どころ」と上毛かるたに歌われていますが、門前町である桐生新町は神様、仏様に守られて発展したのです。
桐生天満宮
名称桐生天満宮/きりゅうてんまんぐう
所在地群馬県桐生市天神町1-3-4
関連HP桐生天満宮公式ホームページ
電車・バスで上毛電鉄西桐生駅から徒歩20分。JR桐生駅から徒歩25分
ドライブで北関東自動車道太田藪塚ICから約11km。太田桐生ICから約14km
駐車場20台/無料
問い合わせ桐生天満宮 TEL:0277-22-3628/FAX:0277-22-3628
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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