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頼母子横穴墓群

頼母子横穴墓群

群馬県邑楽郡板倉町海老瀬、谷中湖(渡良瀬遊水地)の西、渡良瀬遊水地グラウンド近くにあるのが、頼母子横穴墓群(たのもしおうけつぼぐん)。台地の上に建つ板倉町立東小学校の南側斜面に5基ある横穴墓で、現在は2基の横穴が確認できます。

7世紀後半に築かれた横穴墓

内部の広さは、床面が畳2枚分(埋葬施設の玄室は、全長2m、高さ0.87m、幅0.75m)、天井はドーム型で、床には河原石が敷き詰められていました。

築造時期は7世紀後半(古墳時代後期〜飛鳥時代)と推測され、板倉町の史跡に指定されています。
板倉町内には同じ海老瀬地区に離山横穴墓(はなれやまおうけつぼ)があります。

群馬県内ではこのほか、高崎市吉井町の穴大黒、桐生市の十二社横穴墓群の合計4ヶ所の横穴墓が見つかっています。

被葬者は、都のあった地では女帝で、史上初の重祚(ちょうそ=退位後に飛鳥板蓋宮で再度天皇に)となった斉明天皇(在位655年〜661年)、蘇我入鹿を暗殺するクーデター(乙巳の変)を起こし、大化の改新で即位した天智天皇(てんぢてんのう/在位668年〜672年)の治世、朝鮮半島では白村江の戦い、その後の唐・新羅との緊張関係というという時代的な背景から、周辺を治める有力者層とその家族だったと推測されます。

群馬県に巨大な前方後円墳が築かれたのは5世紀中葉〜5世紀後半のことで、2世紀ほど後、律令時代への転換期の墓ということになります。

頼母子横穴墓群の2.5kmほど南東、道の駅かぞわたらせ近くには、歩いて三歩で回れる三県境はここだけ!という平地の三県境(栃木・群馬・埼玉三県境)があるのでお見逃しなく。

頼母子横穴墓群
名称 頼母子横穴墓群/たのもしおうけつぼぐん
所在地 群馬県邑楽郡板倉町海老瀬
関連HP 板倉町公式ホームページ
電車・バスで 東武日光線板倉東洋大学前駅から徒歩15分
ドライブで 東北自動車道館林ICから約8km
問い合わせ 板倉町教育委員会生涯学習係 TEL:0276-82-2435/FAX:0276-82-2436
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

平地の三県境(栃木・群馬・埼玉三県境)

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