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宝塔山古墳

宝塔山古墳

群馬県前橋市総社町にある総社古墳群を構成する1基が、宝塔山古墳(ほうとうざんこふん)。一辺66m、高さ12mという大型の方墳で、埋葬施設として横穴式石室が備わり、刳抜式の家形石棺が置かれています。大化の改新の始まる7世紀中葉(古墳時代終末期)の築造と推測されています。国の史跡。

総社古墳群にある巨大な方墳

宝塔山古墳には幅18mもの周濠が巡らされているので、古墳全体では一辺102mもの大型古墳になります。
上毛野国造(かみつけぬのくにのみやつこ)は、天武天皇13年(684年)に朝臣を賜っており、律令時代の上野国(こうずけのくに)の国府は、群馬県前橋市元総社町にあったと推測されているので、律令時代への過渡期に一帯を支配した豪族の墓であることがわかります。

出土した石棺の脚部に格狭間(こうざま)と呼ばれる仏教建築の仕様があり、ヤマト王権が広めようとした仏教文化(仏教伝来は538年)を、いち早く古墳造りにも取り入れたことがわかっています。

東側には隣接して蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん/一辺44mの方墳、7世紀後半)が築かれていますが、築造年代は、遠見山古墳(前方後円墳/5世紀後半)→王山古墳(前方後円墳/6世紀初頭)→総社二子山古墳(前方後円墳/6世紀後半)→総社愛宕山古墳(方墳/7世紀前半)→宝塔山古墳(方墳/7世紀中葉)→蛇穴山古墳(方墳/7世紀後半)の順です。

家形石棺

総社古墳群の築造順は!?

古墳名形状規模築造時期史跡指定
遠見山古墳前方後円墳墳丘長88m5世紀後半前橋市の史跡
王山古墳前方後円墳墳丘長76m6世紀初頭前橋市の史跡
総社二子山古墳前方後円墳墳丘長90m6世紀後半国の史跡
総社愛宕山古墳方墳一辺56m7世紀前半指定なし
宝塔山古墳方墳一辺66m7世紀中葉国の史跡
蛇穴山古墳方墳一辺44m7世紀後半国の史跡
現存する6基の築造順
宝塔山古墳
名称 宝塔山古墳/ほうとうざんこふん
所在地 群馬県前橋市総社町総社1606
関連HP 前橋観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR群馬総社駅から徒歩20分
ドライブで 関越自動車道前橋ICから約5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 前橋市文化財保護課 TEL:027-280-6511
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

上野国府跡(国庁伝承地 宮鍋神社)

646(大化2)年正月に発せられた大化改新の詔(みことのり)によって律令政治が開始。地方を治めていた国造(くにのみやつこ)制度は廃止され、大和朝廷から国司(こくし)が任命され、政庁としてしての国府が置かれました。上野国(こうずけのくに)の国

総社二子山古墳

遠見山古墳(前方後円墳/全長66m)、王山古墳(前方後円墳/全長72m)、愛宕山古墳(方墳/辺長55m)、宝塔山古墳(方墳/辺長60m/国史跡)、蛇穴山古墳(方墳/辺長39m/国史跡)とともに、総社古墳群を構成する全長90mの前方後円墳が総

総社愛宕山古墳

群馬県前橋市総社町総社にある総社古墳群の1基(総社町10号墳)が、総社愛宕山古墳(そうじゃあたごやまこふん)。一辺56m、高さ8.5mの方墳で、横穴式石室を備え、石室内には凝灰岩製の家形石棺が据えられています(史跡指定はありません)。律令時

蛇穴山古墳

群馬県前橋市総社町にある総社古墳群の1基が、蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)。一辺44m、高さ5mの方墳で、埋葬施設として横穴式石室が備わっています。造営されたのは大化の改新以降、7世紀後半(古墳時代終末期)だと推測されています。国の史跡に

遠見山古墳

群馬県前橋市総社町総社にある総社古墳群の1基が、遠見山古墳。墳丘長87.5mの前方後円墳で、埋葬施設としては竪穴式石室だと推測されていますが明らかではありません。古墳名は墳丘が、中世に総社城の物見台として使われていたことに由来します。前橋市

王山古墳

群馬県前橋市大渡町(おおわたりまち)にある総社古墳群の1基が、王山古墳(おうやまこふん)。墳丘長75.6mの前方後円墳で、埋葬施設として全長16.37mという長さを誇る横穴式石室が備わっています。横穴式石室を有する古墳としては東日本ではもっ

古代、群馬は東国の中心だった!

古墳時代に畿内に誕生したヤマト王権(古代日本の豪族連合政権)は、まずは瀬戸内の舟運を掌握する豪族を翼下に収め、王権の完成する4世紀以降、しだいに東国へと勢力を伸ばします。古墳時代の東国の中心は現在の群馬県。その権力の象徴として、周辺の豪族を

 

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