上野国府跡(国庁伝承地 宮鍋神社)

646(大化2)年正月に発せられた大化改新の詔(みことのり)によって律令政治が開始。地方を治めていた国造(くにのみやつこ)制度は廃止され、大和朝廷から国司(こくし)が任命され、政庁としてしての国府が置かれました。上野国(こうずけのくに)の国府は、前橋市元総社町付近にあったと推測されています。

平将門が占領したこともある国庁の跡

上野国国府の遺構は、残念ながらまだ発見されていませんが、上野国総社の旧社地ともいわれる宮鍋神社は、有力な候補地。

宮鍋神社は、この地を治めた長尾氏が築いた蒼海城(あおみじょう)の跡で、蒼海城は上野の国府跡に建てられたという記録があるので、宮鍋神社一帯が上野国府跡の推定地とされています。

それを裏付けるように宮鍋神社周辺から、多数の古瓦が出土し、元総社小学校校庭から大型の掘立建物の遺構が見つかっています。

現在では、宮鍋神社を国庁とし、東西に八丁、南に八丁の国府域を想定。

一帯には関東でも最古級の白鳳寺院である山王廃寺跡(放光寺跡)や蛇穴山古墳、宝塔山古墳などの総社古墳群があり、古代に上毛野地域の中心地であることは明白です。

律令制度において、諸国にはその国力により、大国(たいこく)・上国(じょうこく)・中国(ちゅうこく)・下国(げこく)の4ランクの格付けが行なわれていますが、上野国は東山道では近江国、陸奥国と並んで大国の扱い。
さらに826(天長3)年、上野国は常陸国、上総国とともに国守として親王(皇族)が遥任される親王任国となっているので、その重要性がわかります。
そのため、現地に赴任する上野国のトップは次官の上野介(こうずけのすけ)が就任。
939(天慶2)年に勃発した平将門の乱では、平将門は上野国の国庁を占領。
時の上野介藤原尚範は、将門に印鎰(いんやく=国の印と倉の鍵)を献じています。
将門はここで上野総社の巫女の神託を受け、新皇と称したのです。

701(大宝元)年の大宝律令による上野国は、碓氷(うすい)・片岡(かたおか)・甘楽(かんら)・緑野(みどの)・那波(なは)・群馬(くるま)・吾妻(あがつま)・利根(とね)・勢多(せた)・佐位(さい)・新田(にふた)・山田(やまだ)・邑楽(おはらき)の13郡で形成されていました。

都とは近江(おうみ=現・滋賀県)、美濃(みの=現・岐阜県)、信濃(しなの=現・長野県)を通って東山道で結ばれていました。
また、隣国の武蔵国府に向かっては、東山道武蔵路(とうざんどうむさしろ)が現在の太田市で分岐していました。
埼玉県の東の上遺跡(所沢市久米)、東京都の旧国鉄中央鉄道学園跡地遺構(国分寺市泉町2丁目)などを通って、武蔵国府(東京都府中市)へと通じていました。

上野国府跡(国庁伝承地 宮鍋神社)
名称 上野国府跡(国庁伝承地 宮鍋神社)/こうずけこくふあと(こくちょうでんしょうちみやなべじんじゃ)
所在地 群馬県前橋市元総社町2038
関連HP 群馬県公式ホームページ
電車・バスで JR新前橋駅から徒歩25分。または、群馬中央バスで元総社二丁目下車、徒歩6分
ドライブで 関越自動車道前橋ICから約2.3km
駐車場 前橋市立図書館元総社分館駐車場(77台/無料)を利用
問い合わせ 群馬県教育委員会事務局文化財保護課 TEL:027-226-4684/FAX:027-243-7785
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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