群馬県前橋市総社町にある総社古墳群の1基が、蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)。一辺44m、高さ5mの方墳で、埋葬施設として横穴式石室が備わっています。造営されたのは大化の改新以降、7世紀後半(古墳時代終末期)だと推測されています。国の史跡に指定されています。
律令時代の幕開け期に上野国府近くに築かれた古墳
総社古墳群のなかでも最後に築かれた古墳で、周辺に上野国府(国庁伝承地 宮鍋神社)、上野国分寺と上野国分尼寺の跡、総社、古代寺院跡の山王廃寺があることから、律令時代の幕開けの時代に葬られた被葬者と、上野国府との関連性も指摘されています。
古代の律令国家は、支配する地域を60余の国に分け、大国(たいこく)、上国(じょうこく)、中国(ちゅうこく)、下国(げこく)に区分していましたが、上野国は最上級の大国になっていました。
平成19年度と平成21年度に総社公民館の建設に伴う範囲確認調査と発掘調査では、墳丘に二重の周濠が巡らされ、全長が82mにも及ぶことが判明しています(周濠外側に葺石を施した中堤があり、さらにその外側に外周溝が巡らされています)。
横穴式石室は南に向いて開口し、玄室の奥壁、側壁、天井を巨大な石を組み合わせ、石室壁面には宝塔山古墳同様に漆喰が塗られています。
群馬県内の終末期の古墳としても、蛇穴山古墳とその前に構築された宝塔山古墳は、周濠を巡らせた大型の方墳であること、家形石棺の安置、漆喰の塗布など、ほかとは一線を画したつくりを有しており、上野国の国府との関連性も推測できるのです。
さらに宝塔山古墳、蛇穴山古墳と併行して造営された山王廃寺も南西1kmほどに位置し、7世紀後半創建された、一辺80mほどの回廊に囲まれた法起寺式伽藍の白鳳寺院であったことが判明しています。
総社古墳群の築造順は!?
古墳名 | 形状 | 規模 | 築造時期 | 史跡指定 |
遠見山古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長88m | 5世紀後半 | 前橋市の史跡 |
王山古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長76m | 6世紀初頭 | 前橋市の史跡 |
総社二子山古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長90m | 6世紀後半 | 国の史跡 |
総社愛宕山古墳 | 方墳 | 一辺56m | 7世紀前半 | 指定なし |
宝塔山古墳 | 方墳 | 一辺66m | 7世紀中葉 | 国の史跡 |
蛇穴山古墳 | 方墳 | 一辺44m | 7世紀後半 | 国の史跡 |
蛇穴山古墳 | |
名称 | 蛇穴山古墳/じゃけつざんこふん |
所在地 | 群馬県前橋市総社町総社1606 |
関連HP | 前橋観光コンベンション協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR群馬総社駅から徒歩20分 |
ドライブで | 関越自動車道前橋ICから約5km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 前橋市文化財保護課 TEL:027-280-6511 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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