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平福宿

平福宿

兵庫県佐用郡佐用町、利神城(りかんじょう)の麓に位置し、因幡街道随一の賑わいをみせた宿場町が、平福宿(ひらふくしゅく)。慶長・元和年間(1596年〜1623年)の30年間ほどは利神城の城下町として、その後は宿場町として栄、さらに高瀬舟を使った佐用川(千種川)舟運の物資集散地としても繁栄を続けました。

佐用川沿いの土蔵群を散策

播磨国(はりまのくに)・姫路と因幡国(いなばのくに)・鳥取を結ぶ因幡街道。
鳥取藩主の参勤交代では、この因幡街道が使われています。
並行して流れる佐用川西岸の川沿いには、石垣に並ぶ土蔵群が残り、風情ある景観を創り出しています。
因幡・美作(みまさか)方面から運ばれてきた物資は、作用川下流の久崎(千種川・佐用川が合流点近く、高瀬舟の遡上限界)で高瀬舟に積み込み、播磨灘に面した赤穂まで千種川で運ばれたのです。
川沿いに築かれた石垣の上に土蔵が建ち、荷物を積み出すための階段などの景観が残されているのはそのためです。

昭和60年には、郷ひろみ演じる絶世の美男子・権三をめぐり岩下志麻、田中美佐子が美と官能の競演を果たした映画『鑓の権三』(やりのごんざ=篠田正浩監督が近松門左衛門の世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』を映画化)のロケにも佐用川沿いの土蔵群が使われています(京・伏見の船着場で大阪へ逃げようとする笹野権三=郷ひろみ・おさゐ=岩下志麻が、船頭=小沢昭一の船に乗って出発を待つシーン)。

蔵屋敷の商家が連なるのは旧街道に接する西側だけで、智頭急行の列車が走る東側は武家屋敷が並んでいました。
利神城は寛永8年(1631年)に廃城となっているため、東側はのどかな田園風景が広がっています。

宿場町は、美作に近いこともあり、播州系の町家と作州系の町家が混在。
江戸時代から鋳物屋を営んでいた旧瓜生原家を再生した「お休み処 瓜生原」は、作州系の町家です。
本陣跡は素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)の御旅所になっています。

土蔵群に沿って造られた川座敷を歩くと、対岸には利神山の山並みが眺望。
利神山の山頂には南北朝時代、赤松一族が築いたとされる山城、利神城の遺構も残されています。

佐用川にかかる金倉橋のたもとの宮本武蔵決闘の場(五輪書序文の一節の碑)は、13歳の宮本武蔵が兵法者・有馬喜兵衛に初決闘を挑んだ場所と伝えられていますが、史実であるかは定かでありません。

因幡街道ではひとつ北側(因幡側)にある宿場、大原宿(美作市古町)に本陣、脇本陣の遺構が現存、往時の雰囲気を今に伝えています。

因幡街道の宿場

平福宿
名称 平福宿/ひらふくじゅく
所在地 兵庫県佐用郡佐用町平福
関連HP 佐用町観光協会公式ホームページ
電車・バスで 智頭急行平福駅から徒歩5分
ドライブで 中国自動車道佐用ICから約22kmで道の駅宿場町ひらふく
駐車場 道の駅宿場町ひらふく駐車場を利用
問い合わせ 佐用町商工観光課 TEL:0790-82-0670/FAX:0790-82-0492
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

利神城

兵庫県佐用郡佐用町平福にある国の史跡に指定される山城が、利神城(りかんじょう)。赤松一族の別所敦範が、南北朝時代の貞和5年・正平4年(1349年)、北方の守りとして利神山に築いた山城が起源。関ヶ原の合戦後に播磨国入りした池田由之(いけだよし

平福本陣跡

兵庫県佐用郡佐用町平福、因幡街道の平福宿にあるかつて本陣跡が、平福本陣跡(ひらふくほんじんあと)。往時は700坪もの広大な敷地を誇っていましたが、現在は素戔嗚尊神社(すさのおのみことじんじゃ)の「お旅所」で、白壁の門や回廊式の塀が再現され、

宮本武蔵決闘の場

兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿・金倉橋のたもとが、宮本武蔵決闘の場。慶長元年(1596年)、弱冠13歳で人生最初の決闘を行なったのが、この金倉橋のたもとだとつたえられています。『五輪書』自序(序文)の一節が刻まれた

金倉の六地蔵

兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿。因幡街道と寄り沿うように流れる佐用川に架けられた、金倉橋の西側たもとは、江戸時代、平福藩の松原処刑場だった場所で、処刑人の追善供養のために建てられたと伝えられるのが、金倉の六地蔵です

平福陣屋門

兵庫県佐用郡佐用町平福にある江戸時代の旗本陣屋の門が、平福陣屋門。山城の利神城(りかんじょう)廃城後、平福は松平氏5000石の旗本領で代官支配となりました。江戸時代、1万石以下の小藩の城を「陣屋」と呼び、その邸宅の入口に造った長屋門を「陣屋

大原宿(古町町並み保存地区)

岡山県美作市古町、往時には14軒の旅籠が軒を連ねたとされる因幡街道大原宿(いなばかいどうおおはらしゅく)。本陣がある古町一帯は、古町町並み保存地区にも指定され、宿場町の面影が色濃く残される一角。本陣の遺構だけでなく、主屋、古町で唯一の長屋門

 

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