兵庫県神戸市兵庫区にある明治32年12月に完成の運河が兵庫運河(総延長6470m)。和田岬を迂回する小型船舶が潮流と冬の季節風に悩まされて、遭難も多かったことを受け、明治時代に港町・兵庫の活性化を担って官民共同で開削されたのが兵庫運河です。
明治時代に築かれた全国屈指の運河
明治時代になって、貿易の中心が兵庫港から神戸港へ移ったことを受け、兵庫港の活性化を目的に、神田兵右衛門(こうだひょうえもん=神戸商業会議所の初代会頭)が時の兵庫県令・神田孝平(かんだたかひら=全国に先駆けて兵庫県会を開くなど「天下の三県令」と称された革新的な県令)に相談し、明治7年、運河建設に着工。
巨額の私財を投じ、さらに妻の身内の嘉納家の援助を得て、ようやく新川運河を完成させています。
その後、八尾善四郎(やおぜんしろう)が、明治29年に再着工し、明治32年に完成をみたのが兵庫運河です(その後、大正8年に神戸市営の運河に)。
新川運河、そして兵庫運河本線、兵庫運河支線、苅藻島運河、新湊川運河で構成され(総延長6470m)、その総称が兵庫運河です。
明治32年12月の完成当時は、兵庫運河本線(全長1660m)に、神戸市電が走った高松跳ね上げ橋、和田岬線の走る和田旋回橋など5つの可動橋、1ヶ所の浮橋が架橋された、日本随一の可動橋密集地帯になっていました。
和田旋回橋は、可動はしないものの、日本最古の旋回橋としてまだ現役の鉄道橋になっています。
兵庫運河のうち新川運河の一部は、新川運河キャナルプロムナロードとして整備され、夜間にはライトアップも実施されています。
兵庫運河 | |
名称 | 兵庫運河/ひょうごうんが |
所在地 | 兵庫県神戸市兵庫区 |
関連HP | 神戸公式観光サイト |
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