新川運河キャナルプロムナード

新川運河キャナルプロムナード

兵庫県神戸市兵庫区にある新川運河は、兵庫運河の一部として明治8年に神田兵右衛門(こうだひょうえもん)の発案で開削された全長1530mの運河。新川運河沿いの入江橋~大輪田橋間には全長350m、幅約55mの新川運河キャナルプロムナードが整備されています。

運河沿いには、兵庫城、初代の兵庫県庁の跡も

安政五カ国条約で開港場となった兵庫港ですが、和田岬が小型船にとって波と冬場の季節風を受ける難所で、和田岬をかわす際に遭難する船も多数という問題が生じていました。
さらに、明治維新後、港の繁栄が兵庫港から神戸港に移り(開港場に決定後、海域を測量した結果、入江が港として適していたことなどから、神戸に居留地が設けられ、繁栄の中心が神戸港になりました)、兵庫港の活性化を図る必要性も高まったのです。
こうした背景から、神田兵右衛門(こうだひょうえもん=神戸商業会議所の初代会頭)が時の兵庫県令・神田孝平(かんだたかひら)に相談し、明治7年、運河建設に着工、運河開削会社「新川社」が開削したのが新川運河の名の由来です。

明治32年に開通した兵庫運河本線(兵庫運河=兵庫運河本線、兵庫運河支線、新川運河、苅藻島運河、新湊川運河の総称)とあわせて、須磨と兵庫港を結んでいます。

新川運河プロムナード途中に「兵庫城跡・最初の兵庫県庁の地」という碑が立っていますが、これは天正9年(1581年)、織田信長の命で池田恒興(いけだつねおき)が築いた兵庫城の跡を示す碑。
兵庫城は、現在の兵庫区切戸町にあり、新川運河の開削で城跡の中心地は運河の底となってしまっているのです。
兵庫城は江戸時代を通じて陣屋、奉行所、勤番所として機能し、明治元年には兵庫港の開港を受けて、兵庫県庁が置かれ、伊藤博文が初代の県知事に赴任しています。
新川運河を開削した神田兵右衛門も伊藤博文が開削の恩人としていますが、実際にどのような支援をしたのかは定かでありません(開削時、神田兵右衛門が相談した県令は神田孝平で、全国に先駆けて兵庫県会を開くなど「天下の三県令」と称された革新的な県令です)。

大輪田橋という橋の名は、平清盛が日宋貿易目的で開港した平安時代の国際貿易港・大輪田泊(おおわだのとまり)があった地だから。
昭和27年の新川橋西方の新川運河浚渫工事の際には、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた大輪田泊の遺構「石椋」(いしくら)が発見されています。
つまり、新川運河キャナルプロムナード周辺には中世から近代にかけての兵庫津、兵庫港の歴史遺産が眠っているのです。

新川運河キャナルプロムナード
名称 新川運河キャナルプロムナード/しんかわうんがぷろむなーど
所在地 兵庫県神戸市兵庫区中之島2
関連HP 神戸市公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄海岸線中央市場前駅から徒歩6分
ドライブで 阪神高速道路3号神戸線柳原出口から約700km
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
兵庫運河

兵庫運河

兵庫県神戸市兵庫区にある明治32年12月に完成の運河が兵庫運河(総延長6470m)。和田岬を迂回する小型船舶が潮流と冬の季節風に悩まされて、遭難も多かったことを受け、明治時代に港町・兵庫の活性化を担って官民共同で開削されたのが兵庫運河です。

古代大輪田泊の石椋

古代大輪田泊の石椋

兵庫県神戸市兵庫区にある平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた大輪田泊(おおわだのとまり)の遺構。石椋(いしくら)とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設。古代大輪田泊の石椋と名付けられた花崗岩の巨石は、

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