来迎寺(築島寺)

来迎寺(築島寺)

兵庫県神戸市兵庫区島上町にある浄土宗西山派の寺、来迎寺(築島寺)。かつては三川口(兵庫区三川口町)の島にあり、経島山という山号から旧寺地が平清盛が築いた経ヶ島とも推測できる古刹です。その際、人柱となった松王の墓所として創建されたのが築島寺です。

平清盛ゆかりの古刹

平清盛が経ヶ島を築造する難工事の際、海神の怒りを鎮めるために人身御供(ひとみごくう)となったのが清盛の従者である松王(17歳)。
当初は生田の森の関所で捕らえた旅人を人柱にする予定でしたが、肉親の悲嘆が大きいことから讃岐国香川郡辺河村(かわなべむら=現・高松市川部町)にあった中田井城の城主・中田井民部の嫡子、松王が自ら人柱にと名乗り出たのです。

無事に難工事が完成した後に、平清盛は二条天皇の勅令を受け、五条大納言・藤原国綱に命じて築島寺を創建し、松王の墓所としています。
松王は愛媛県喜多郡内子町臼杵の三島神社にも祭神として祀られていますが、往時には臼杵村に住んでいたからなのだとか。

ちなみに松王が人柱になった説は鎌倉時代の軍記物『源平盛衰記』などに記されていますが、『長門本平家物語』などでは平清盛は人柱を入れることは罪深いと考え、人柱を経石に代えた(それが「経の嶋」の由来)と記されています。
『源平盛衰記』には源氏側の加筆、本筋から外れた挿話が多く、松王の話も江戸時代の『摂津名所図会』、『摂陽群談』(せつようぐんだん)などで大衆化するため、伝承が脚色されて松王の話が創設されたとも推測できます。

境内の「松王小児入海の塔」に隣接して、平清盛の愛妾「妓王・妓女の塔」も立っていますが、こちらは妓王(ぎおう=平清盛に寵愛された白拍子)と妓女(妓王の妹)が平家滅亡後、平家の菩提を弔うために、八棟寺(築島寺の末寺)に住持して一門の菩薩を弔ったからとのこと。

明治7年、新川運河が開削された際、寺の西側は埋められています。

ちなみに承安3年(1173年)、私財を投じて平清盛が築いたという経ヶ島ですが、築かれた詳しい場所はわかっていません。
来迎寺(築島寺)の建つ兵庫区上町あたりでないかとも推測できますが、定かでありません。
来迎寺(築島寺)の近くに古代大輪田泊の石椋がありますが、これは、平清盛以前の時代の大輪田泊の遺構です。

来迎寺(築島寺)
名称 来迎寺(築島寺)/らいごうじ(ちくとうじ)
所在地 兵庫県神戸市兵庫区島上町2-1-3
電車・バスで 地下鉄海岸線中央市場前駅から徒歩4分。または、神戸駅から徒歩19分
ドライブで 阪神高速道路3号神戸線柳原出口から約800m。または、京橋出口から約3.6km
駐車場 なし
問い合わせ 来迎寺(築島寺) TEL:078-681-0397
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
新川運河キャナルプロムナード

新川運河キャナルプロムナード

兵庫県神戸市兵庫区にある新川運河は、兵庫運河の一部として明治8年に神田兵右衛門(こうだひょうえもん)の発案で開削された全長1530mの運河。新川運河沿いの入江橋~大輪田橋間には全長350m、幅約55mの新川運河キャナルプロムナードが整備され

古代大輪田泊の石椋

古代大輪田泊の石椋

兵庫県神戸市兵庫区にある平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた大輪田泊(おおわだのとまり)の遺構。石椋(いしくら)とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設。古代大輪田泊の石椋と名付けられた花崗岩の巨石は、

来迎寺(築島寺)

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