兵庫城・初代兵庫県庁跡

兵庫城・初代兵庫県庁跡

摂津国八部郡兵庫津、現在の兵庫県神戸市兵庫区中之島の兵庫津にあった戦国時代の城跡が兵庫城(ひょうごじょう)。謀反を起こし、小寺孝隆(黒田官兵衛)を有岡城に幽閉した荒木村重を攻略した功績で、池田恒興(いけだつねおき)が築城しています。兵庫城の跡は、初代兵庫県庁跡にもなっています。

兵庫津にあった初代の兵庫県庁

荒木村重を攻略した戦功で、摂津国の大守になった池田恒興は、荒木村重の居城、花隈城(はなくまじょう=現・兵庫県神戸市中央区花隈町)には入らず、兵庫津という国際貿易港に、天正9年(1581年)、兵庫城を築いています。

『摂津名所図会』に、「池田信輝此津守領の時、花隈城を毀り、其材石を移してここに築く」と記されているので、普請にあたっては石材などは花隈城から運んだものと推測できます。
兵庫津を睨み、北に山陽道が通るという地の利を活かした縄張りから、中世から近世への移行期に築かれた城の特徴を有しています。

築城からわずか2年後(本能寺の変の翌年)の天正11年(1583年)、池田恒興は美濃国大垣城に移封され、兵庫城下は羽柴秀吉の直轄地となり、賤ヶ岳の戦いでの一番槍の功を認められ(賤ヶ岳の七本槍のひとり)、秀吉の直参衆・片桐且元(かたぎりかつもと)が代官として入城しています(兵庫津一帯3000石を領有)。
その際には、兵庫城ではなく、片桐陣屋と呼ばれるようになっています。

江戸時代にも、陣屋機能は温存され、慶長12年(1607年)、第1回の朝鮮通信使(朝鮮正使:呂祐吉、目的:朝鮮の役での捕虜返還、日朝国交回復)の際には、ここが江戸へ移動する途中の宿所となり、「及館主所周以城池門設三重(中略)支供官乃秀頼代官片桐主膳」と朝鮮通信使の日誌に記されていることから、居館の周囲に堀が巡らされ、門構えも三重だったことがわかります。

関ヶ原の合戦で東軍に与した片桐且元は、当時、摂津国・河内国・和泉国・小豆島を管轄する立場にあり、日誌にも「秀頼代官片桐主膳」と記されていることから、朝鮮通信使の宿所が片桐陣屋だったことがわかります(朝鮮通信使は江戸時代を通して12回来日、そのうち11回は兵庫津に寄港しています)。

元和元年(1615年)、大坂の陣で大坂城が落城すると、尼崎藩に組み入れられ、陣屋には兵庫津奉行所が設けられます。
明和6年(1769年)には重要港である兵庫津一帯が天領(幕府領)になったことで、兵庫津奉行所は廃止されて、勤番所となっています。

その後、明治維新まで勤番所が存続し、明治維新で兵庫県が誕生すると、初代の県庁がこの勤番所跡に設置され、慶応4年5月23日旧(1868年7月12日)、初代の県知事として伊藤博文が赴任、県庁を勤番所から坂本村(現・神戸市中央区橘通)に移転しています。

兵庫勤番所が実際にあったところは現在、新川運河となっていて、建物の遺構などはまったくありません(『兵庫勤番所絵図』をもとに「初代県庁館」を建設)。

兵庫城・初代兵庫県庁跡
名称 兵庫城・初代兵庫県庁跡/ひょうごじょう・しょだいひょうごけんちょうあと
所在地 兵庫県神戸市兵庫区
電車・バスで JR兵庫駅から徒歩15分
ドライブで 阪神高速道路3号神戸線柳原出口から約700km
問い合わせ 神戸市兵庫区まちづくり課 TEL:078-511-2111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
新川運河キャナルプロムナード

新川運河キャナルプロムナード

兵庫県神戸市兵庫区にある新川運河は、兵庫運河の一部として明治8年に神田兵右衛門(こうだひょうえもん)の発案で開削された全長1530mの運河。新川運河沿いの入江橋~大輪田橋間には全長350m、幅約55mの新川運河キャナルプロムナードが整備され

古代大輪田泊の石椋

古代大輪田泊の石椋

兵庫県神戸市兵庫区にある平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた大輪田泊(おおわだのとまり)の遺構。石椋(いしくら)とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設。古代大輪田泊の石椋と名付けられた花崗岩の巨石は、

兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)

兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)

兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目、現在、イオンモール神戸南が建つ一帯が、兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)。平成15年に兵庫津遺跡(ひょうごのついせき)で古代大輪田泊跡と推測される遺構が発掘され、古代から中世の瀬戸内海航路の港湾・兵庫津(現在の神戸

兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館

兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館

兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目に令和3年11月3日にオープンした兵庫県のルーツを示す復元施設が、兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館。『兵庫勤番所絵図』などの史料に基づいて時代考証を行ない、歴史空間を体感する施設として復元したミュージアム

柳原蛭子神社

柳原蛭子神社

兵庫県神戸市兵庫区西柳原町、「柳原のえべっさん」(柳原えびす)と通称される西国街道の柳原にある神社が、柳原蛭子神社。柳原は兵庫津の西端に位置し、兵庫津の西国街道の出入口として栄え、近世には柳原惣門が建っていた場所。1月9日~11日の『十日え

兵庫津柳原惣門跡

兵庫津柳原惣門跡

兵庫県神戸市兵庫区西柳原町、柳原蛭子神社(柳原えびす)の社前が、兵庫津柳原惣門跡。兵庫津の町の西の玄関口で、西国街道が屈曲する場所には惣門と呼ばれる門がありました。惣門は平時には兵庫津の玄関の装飾門となり、戦時となると町と外部を遮断する防衛

福海寺

福海寺

兵庫県神戸市兵庫区西柳原町、西国街道の柳原惣門跡・柳原蛭子神社の北に建つ臨済宗南禅寺派の寺が、福海寺(ふくかいじ)。正式名は福海興国禅寺で、康永3年(1344年)、足利尊氏が兵庫津(兵庫城)に創建、足利義満など歴代の足利将軍の尊崇を受けたと

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ