兵庫県川西市平野3丁目、国道173号の脇、ホームセンターの「コーナン川西平野店」北側にあるのが、三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)。明治17年、「平野水」の名で瓶詰めにして販売された炭酸水が三ツ矢サイダーの始まり。「旧三ツ矢記念館」、「源泉地室」が現存しています。
三ツ矢サイダーの原点は、天然鉱泉「平野水」
平安時代から塩泉が湧き出ていた兵庫県多田村平野(現・川西市平野)。
江戸時代にも温泉場として知られていました(現在も炭酸を含んだ鉱泉が湧出する場所があります)。
明治14年、イギリス人理学者で、「日本アルプス」の命名者としても知られるウィリアム・ガウランド(William Gowland=全国全国406基の古墳を調査、古墳研究の先駆者としても名高く、「日本考古学の父」とも)が、川西市の平野鉱泉から涌き出る炭酸水を分析し、「理想的飲料鉱泉なり」と賞賛したことで、炭酸水としての飲料化の道が生まれ、明治17年に平野鉱泉工場で瓶詰めが始まったのです。
三ツ矢サイダーに三ツ矢のマークの下にSINCE 1887と誇らしげに入っているのは、明治17年に平野鉱泉工場で瓶詰めが始まったことをルーツとしているから。
当初の鉱泉水は、ろ過された天然の鉱泉水を、鉱泉中に含まれる炭酸ガスとともに瓶詰めした、文字通りの鉱泉水。
甘味も酸味もなく、発売当初はあまり需要がありませんでしたが、明治30年、「三ツ矢印平野水」が嘉仁皇太子(よしひとこうたいし=後の大正天皇)の御料品の指定を受けたことで、名声も上がり、需要が高まったことで製造所も増設され、明治42年、「三ツ矢」印「平野シャンペンサイダー」を発売(「三ツ矢サイダー」の通称で広告展開)。
鉱泉水(平野水)に砂糖、クエン酸などを加えたものですが、そば1杯3銭の時代に1本10銭という高級品でしたが、ヒット商品となったのです。
源満仲が鷹狩りの際に見つけた霊泉が、平野の天然鉱泉だったと伝えられることから、源満仲の故事(城地を定める際に、3本の矢を放ち、それを見つけた者に三ツ矢紋を付与)から名付けたもの。
胃腸病の持病もあった夏目漱石も愛飲していたようで、随筆『思い出す事など』や小説『行人』に「平野水」が登場しています。
平野工場は山間部の狭い立地条件のため拡張することが困難で、西宮の工場に設備を移し、昭和34年、平野工場でのサイダーの製造停止、昭和42年、炭酸ガスの製造も停止して、閉鎖されています。
現在の透明飲料としての「三ツ矢サイダー」は昭和43年からの発売。
三ツ矢サイダー発祥の地に残る「旧三ツ矢記念館」は大正元年築の旧帝国鉱泉御料品製造所、「源泉地室」は、旧帝国鉱泉源泉地施設です。
また工場のシンボル塔だった三ツ矢塔も残されています。
見学は、公道側から金網越しとなるので、三ツ矢塔の外観しか見ることができません。
三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡) | |
名称 | 三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)/みつやさいだーはっしょうのち(ひらのこうせんこうじょうあと) |
所在地 | 兵庫県川西市平野3-23-1 |
関連HP | 川西市公式ホームページ |
電車・バスで | 能勢電鉄平野駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 川西市文化・観光・スポーツ課 TEL:072-740-1161/FAX:072-740-1187 |
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