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いろは丸展示館

広島県福山市の鞆の浦は、瀬戸内海交易、そして北前船の寄港ととして繁栄した歴史を有しています。鞆港の雁木に面して建つ白壁土蔵がいろは丸展示館。館内では、海援隊を組織した坂本龍馬が瀬戸内海を航行中に紀州藩の軍艦と衝突、鞆の浦沖で沈没した「いろは丸」の一部を70分の1で再現。引き揚げ時に見つかった遺物などを展示しています。

いろは丸沈没事件を今に伝えるミュージアム

いろは丸は、鉄片を分析した結果、1860年代にヨーロッパで製造と判明。
大理石のドアノブにバーミンガムの文字が刻まれていることから、イギリスから購入したものと推定されています。
伊予国大洲藩(現在の愛媛県大洲市)が、坂本龍馬と薩摩藩の五代友厚の仲介で長崎駐留のポルトガル領事から購入した蒸気船(160トン)で、マストも3本あり帆走も可能でした。
その後、大洲藩は、坂本龍馬(海援隊)の海運業務のため、「いろは丸」を貸し出し。
慶応3年4月23日(1867年5月26日)、大坂に向かう「いろは丸」、長崎に向かう紀州藩船「明光丸」が備中国笠岡諸島(現在の岡山県笠岡市)の六島沖で衝突。
鞆の浦まで明光丸で曳航する途中、宇治島沖で沈没。
「いろは丸」の坂本龍馬は、「明光丸」に移っていたため死者は発生しませんでした。
坂本龍馬は、紀州藩の用意した廻船問屋の「桝屋」(桝屋清右衛門宅)や対潮楼に4日間滞在し賠償交渉を行なっていますが、記録に残るものでは、「いろは丸」の操舵に非があったものの、紀州藩・幕府側の責任を龍馬が追求する姿勢で、ついに紀州藩が賠償金8万3526両198文を支払う事で決着しています(現在の164億円)。

蒸気船同士の日本最初の海難事故ですが、龍馬は賠償金を受け取ることもなく、11月15日に暗殺されています。

いろは丸展示館の2階には、鞆に上陸した龍馬が身を隠したといわれる回船問屋「桝屋」の屋根裏部屋も再現。
ろう人形の龍馬と記念撮影が可能です。
「いろは丸事件」のあと、龍馬たちが泊まったと伝わる「旧枡屋清右衛門宅」、紀州藩士が泊まった圓福寺、その後、賠償交渉をしたとされる魚屋萬蔵宅など、龍馬ゆかりの場所が鞆の浦には数多く残されています。

ちなみに、いろは丸展示館の建物も、江戸時代に建てられた一連の太田家所有(江戸時代は保命酒の元祖、中村家)の蔵で、地元では「大蔵」と呼ばれています。

いろは丸展示館
名称 いろは丸展示館/いろはまるてんじかん
所在地 広島県福山市鞆町鞆843-1
関連HP 福山観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR福山駅から鞆鉄バス鞆の浦行きで30分、終点下車、徒歩3分
ドライブで 山陽自動車道福山東ICから約15kmで福山市鞆の浦第1駐車場
駐車場 福山市鞆の浦第1駐車場(40台/有料)
問い合わせ いろは丸展示館 TEL:084-982-1681
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

鞆港・常夜灯

広島県福山市鞆町の鞆の浦(とものうら)は北前船の寄港などで栄えた港町。鞆の港に入る船の目印となっていた石造の常夜灯が現存しています。寛政3年(1791年)に築かれたもので、今も鞆の浦のシンボルとなっています。その足下に広がるのが雁木。干潮、

桝屋清右衛門宅(龍馬の隠れ部屋)

慶応3年4月23日(1867年5月26日)、坂本龍馬ら「海援隊」メンバーを乗せた蒸気船「いろは丸」が、備讃瀬戸(箱崎と六島の沖合)で紀州藩の軍艦「明光丸」と衝突した「いろは丸事件」。龍馬と乗組員は、明光丸で鞆の浦に上陸。その際、龍馬ら海援隊

鞆港(鞆の浦)

かつて潮待ち湊として栄えた鞆の浦(広島県福山市鞆町)。瀬戸内海随一の要港だった頃の喧噪とは無縁の静けさですが、江戸情緒を色濃く残す街並みは今も健在。鞆七卿落遺跡周辺の白壁土蔵やベンガラ商家の家並みはもちろん貴重ですが、鞆の原風景といえば、や

対潮楼

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広島県福山市鞆町、北前船(西廻り航路)の寄港地、瀬戸内海舟運の要衝として発展した鞆の浦。西町を中心とした昔町の8.6haが、国の重伝建、福山市鞆町伝統的建造物群保存地区に選定されています。港一帯は狭い路地、茶色の土塀、白壁の家並みなどで構成

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