福山市営渡船場(「平成いろは丸」乗船場)

福山市営渡船場(「平成いろは丸」乗船場)

広島県福山市、鞆の浦の海岸道路沿い、観光駐車場に隣接して建つのが福山市営渡船場(「平成いろは丸」乗船場)。就航する船は坂本龍馬が運用した蒸気船「いろは丸」をモチーフにしたレトロタイプの「平成いろは丸」対岸の仙酔島とを結ぶ渡船で島までは5分ほど。

「いろは丸」をモチーフにした観光船「平成いろは丸」が就航

日中は1時間に3往復ほど運航されており、あまり待たず乗船でき、日帰りで気軽に渡ることができます(市営渡船なので料金も手頃)。
平成いろは丸は、19tで、全長22.28m。
坂本龍馬が乗船した「いろは丸」は全長54m、160tの蒸気船なので、かなり小さいスケールということに。

「いろは丸」に関しては、「いろは丸展示館」に詳細が解説されていますが、伊予国大洲藩(現在の愛媛県大洲市)が、坂本龍馬と薩摩藩の五代友厚の仲介で長崎駐留のポルトガル領事から購入した蒸気船(160トン)。
大洲藩は、坂本龍馬(海援隊)の海運業務のため、「いろは丸」を貸し出しますが、慶応3年4月23日(1867年5月26日)、大坂に向かう「いろは丸」、長崎に向かう紀州藩船「明光丸」が備中国笠岡諸島(現在の岡山県笠岡市)の六島沖で衝突し、鞆の浦まで明光丸で曳航する途中、宇治島沖で沈没。

坂本龍馬は、紀州藩の用意した廻船問屋の「桝屋」(桝屋清右衛門宅)や対潮楼に4日間滞在し賠償交渉を行なっていますが、記録に残るものでは、「いろは丸」の操舵に非があったものの、紀州藩・幕府側の責任を龍馬が追求する姿勢で、ついに紀州藩が賠償金8万3526両198文を支払う事で決着しています(現在の164億円)。

仙酔島桟橋(「平成いろは丸」乗船場)
仙酔島の桟橋
福山市営渡船場(「平成いろは丸」乗船場)
名称 福山市営渡船場(「平成いろは丸」乗船場)/ふくやましえいとせんば(「へいせいいりはまる)じょうせんじょう
所在地 広島県福山市鞆町鞆
関連HP 福山市公式ホームページ
電車・バスで JR福山駅から鞆鉄バス鞆の浦方面行きで30分、鞆港下車
ドライブで 山陽自動車道福山東ICから約15km
駐車場 福山市鞆の浦第2駐車場(有料)などを利用
問い合わせ 渡船管理事務所 TEL:084-982-2115
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

いろは丸展示館

広島県福山市の鞆の浦は、瀬戸内海交易、そして北前船の寄港ととして繁栄した歴史を有しています。鞆港の雁木に面して建つ白壁土蔵がいろは丸展示館。館内では、海援隊を組織した坂本龍馬が瀬戸内海を航行中に紀州藩の軍艦と衝突、鞆の浦沖で沈没した「いろは

仙酔島

仙酔島

広島県福山市の鞆の浦。鞆の浦が万葉の昔から瀬戸内海の良港であり、北前船の寄港地なのは仙酔島が風除け、防波堤の役目をしているから。仙酔島は周囲約5.2kmの小島で、「仙人が酔うほど美しい」というのが名の由来。仙酔岩体と呼ばれる流紋岩、凝灰岩か

 

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