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稚内港北防波堤ドーム

稚内港にあるゴシック建築を模した半アーチ形ドーム型の防波堤。昭和11年、稚泊連絡船(ちはくれんらくせん=北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船)の桟橋の保護と桟橋を利用する乗客の便宜のために建設されたもの。高さ13.6m、全長は427m。昭和13年には稚内桟橋駅が開業し、列車を降りた旅客はドーム内を歩いて船へと向かいました。

北海道遺産になった稚泊連絡船のドーム型防波堤

稚内公園から眼下に
稚内港から眺める横部分

北海道遺産、土木学会選奨土木遺産に選定されています。

柱間6mの円柱70本を並べたユニークな防波堤を設計したのは、当時26歳の若き土木技師・土谷実(稚内築港事務所)。
古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群が、不思議な雰囲気を醸し出しています。

防波堤というように、鉄道や乗下船する旅客へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年〜昭和11年に建設。
昭和53年から3年間をかけて修築されています。

ドーム奥の稚内港側には、22年間の業績を讃える稚泊航路記念碑も立っています。

稚泊連絡船
稚内と樺太・大泊を8時間で結んだ稚泊連絡船(167.0 km/営業キロ210.0 km)は、関釜連絡船「壱岐丸」「対馬丸」の転用で、宗谷線(現・宗谷本線)の開業の翌年、大正12年開業。昭和2年「亜庭丸」、昭和7年「宗谷丸」と新造船が就航していました。
就航する船は、冬季は流氷が押し寄せる海域のため砕氷船という仕様でした。
宗谷本線の優等列車と接続するダイヤを組みで、稚内港側は稚内桟橋駅という仮乗降場が設けられ、大泊港側も桟橋上に大泊港駅が設けられ、樺太東線と接続していました。
昭和20年8月23日に大泊港を出航した「宗谷丸」が稚泊連絡船の最後の航海です。

稚泊航路記念碑碑文
「この地稚内から、いまは異国の地、樺太大泊に、国鉄稚泊航路が開設されたのは、宗谷線が稚内まで全通した翌年の大正12年5月1日である。
この航路は、167キロの海上を約9時間を要し、ときに宗谷海峡特有の濃霧、あるいは結氷、流氷との悪戦苦闘により守られてきた。
昭和2年砕氷客貨船亜庭丸(3355トン)、昭和7年最新鋭船宗谷丸(3593トン)が就航するに及び、その往還は飛躍的に繁栄の一途をたどってきた。
しかし、終戦直後の昭和20年8月24日18時、22年にわたる歴史的使命を終え、その幕を閉じたのである。
いまここに星霜20有余年、稚内桟橋がその面目を一新するときにあたり、有志相図り稚泊航路の輝かしい業績と、幾多先人の苦労を銘記してこの碑を建立し、永久に記念するものである。
昭和45年11月吉日

有志を代表して
旭川鉄道管理局長 深沢今吉
稚内市長 浜森辰雄」

稚内桟橋に停泊中の「亜庭丸」
稚内港北防波堤ドーム
名称 稚内港北防波堤ドーム/わっかないこうきたぼうはていどーむ
Wakkanai Port Northern Breakwater Dome
(designated as a Hokkaido Heritage in 2001)
所在地 北海道稚内市開運
関連HP 稚内市公式ホームページ
電車・バスで JR稚内駅から徒歩6分
ドライブで 稚内空港から約13km
駐車場 道の駅わっかない駐車場を利用、駐車場から徒歩4分
問い合わせ 稚内市観光交流課 TEL:0162-23-6161
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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