温泉のベスト3を表す、日本三名泉。江戸時代初期の儒学者で歴史書『本朝通鑑』を著すなど博物学者的な資質のあった林羅山が選んだ三名泉が草津温泉(群馬県草津町)、下呂温泉(岐阜県下呂市/当時は下呂ではなく湯島と表記)、そして有馬温泉(兵庫県神戸市)。
万里集九、林羅山が選んだ日本三名泉
室町時代、京都五山相国寺の僧・万里集九(ばんりしゅうく)は、延徳元年(1489年)、延徳3年(1491年)、下呂温泉に滞在(「予在飛之温泉、温泉所在日益田郡下櫓郷」/詩文集『梅花無尽蔵』)。
その際に著した詩文集『梅花無尽蔵』に「本邦六十余州、毎州有霊湯、其最者下野之草津、津陽之有馬、飛州之湯島三処也」と記しています。
現代訳すれば、「日本にある60諸国には、各国に霊湯が湧いていますが、ベストなものが草津、有馬、湯島(下呂)です」。
徳川家康から4代にわたって徳川幕府に仕えた儒学者・林羅山は、この説を追認する形で、『摂州有馬温湯記』の中で、「我國諸州多有温泉其最著者摂津之有間下野之草津飛騨之湯嶋是三處也」と語っています。
実は、上野(こうづけ=群馬県)の草津を下野(しもつけ=栃木県)と誤記するなど、実際の土地勘や温泉の知識に関しては疑問符が付くような断定ですが、現在、日本三名泉というのが草津、下呂、有馬というのはこのふたりの記述が根拠になっています。
実は、万里集九は、近江出身で、京、尾張、三河、美濃、飛騨などには詳しいのですが、草津については入湯していません(江戸城までは来たという記録があります)。
万里集九は、美濃国の禅源寺に住み、下呂温泉を湯治に使っているので、少し贔屓目(ひいきめ)だったかもしれません。
林羅山が有馬温泉に赴いた際に記したのが元和7年(1621年)刊の『摂州有馬温湯記』。
林羅山が三名泉のうち、有馬温泉を筆頭にしたのは、有馬温泉で記しているから。
草津を現代風にいえば「栃木県の草津」などというとんでもないミスを犯しているので、三名泉の権威も疑問符が付きかねませんが、当時、この三湯が全国区であったことは間違いありません。
草津温泉
所在地:群馬県草津町
泉質:含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物温泉(湯畑源泉)など/pHは2前後と強酸性(国内TOP10に入る酸性です)
湧出量:毎分3万2300リットル(1日にドラム缶23万本分=自然湧出量で日本一)
その他:江戸時代後期の『温泉番付』で、東の大関(大関が最高位)、草津町役場は、日本最高所にある役場
下呂温泉
所在地:岐阜県下呂市
泉質:単純温泉(アルカリ性単純温泉)/pH9前後というツルツル温泉
湧出量:毎分3万2300リットル(1日にドラム缶23万本分=自然湧出量で日本一)
その他:益田川の河原に、下呂温泉のシンボル、噴泉池(露天風呂)が
有馬温泉
所在地:兵庫県神戸市
泉質:含鉄・ナトリウム-塩化物強塩高温泉(金泉)、二酸化炭素泉・放射能泉(銀泉)/pH6.0~8.5(金泉)、pH6.2~7.0(銀泉)
湧出量:毎分900リットル(地質調査所データ)
その他:日本三古湯、枕草子の三名泉にも選定。江戸時代後期の温泉番付では当時の最高位である西大関。
非火山性の温泉(有馬型温泉水=600万年前に沈み込んだフィリピン海プレートに取り込まれた海水が湧出)ながら、環境省の指針により療養泉として指定している9つの主成分(単純性温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉、放射能泉)のうち、硫黄泉と酸性泉を除く7つの成分が含まれ、金泉、銀泉とも飲泉が可能
日本三名泉とは!? | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag