温泉寺

傷ついたシラサギが、羽を休めた松の木の根元で、村人が温泉を発見というのが下呂温泉発見の伝承。木の根元にあった薬師如来像(シラサギは薬師如来の化身だった)を奉っているのが医王山温泉寺で、1671(寛文11)年の創建。土地の人が下呂富士と呼ぶ中根山の裾にあり、温泉街からは173段の石段で上ります。

下呂温泉の高台にある白鷺伝説ゆかりの寺

本尊の薬師如来像を祀った本堂のほか、湯をかけて病気平癒を祈願する湯薬師如来尊像もあり、下呂温泉の発見伝承を伝える寺ならではの雰囲気です(毎年3月8日には、『薬師祭り』を開催)。
境内からは温泉街を一望にする絶景が。

紅葉シーズンにはライトアップも実施するほか大晦日には除夜の鐘を撞くことも可能です。
毎月13日には、無料で参加できる『座禅会』も実施。

室町時代の禅僧、万里集九は下呂温泉を訪れ、「本邦六十余州、毎州有霊湯、其最者、下野之草津(正しくは上野ですが)、津陽之有馬、飛州之湯島(下呂温泉のこと)三処也」と記し、江戸時代に林羅山も賞賛したことから「天下の三名泉」と呼ばれるように。

江戸時代には花柳界(性病のこと)などで湯治に訪れる人が温泉寺に籠もって回復を念じたのだとか。
温泉寺には、下呂温泉の縁起を伝える『湯文』、江戸時代の遊行僧・円空の残した円空仏などを所蔵。

温泉寺と蝦夷地で活躍の飛騨屋久兵衛
山門下の墓地には、岐阜県の史跡「飛騨屋久兵衛の墓」も残されています。
飛騨屋久兵衛(飛騨屋の武川久兵衛)は、蝦夷地(北海道)において、本格的な林業活動を始めた商人。
1702(元禄15)年、松前藩から蝦夷檜(えぞひのき=エゾマツ)伐採の許可を得、志利別(しりべつ)、沙流(さる)、久寿里(くすり)、厚岸(あっけし)などで伐採した木を本州へ運んで富を築きます。
初代・飛騨屋久兵衛の父、武川久右衛門倍良が、萩原・禅昌寺八世・剛山和尚を中興開山に迎え、再興したのが温泉寺なのです。
温泉寺
名称 温泉寺/おんせんじ
所在地 岐阜県下呂市湯之島680
関連HP 温泉寺公式ホームページ
電車・バスで JR下呂駅から徒歩20分
ドライブで 中央自動車道中津川ICから約53km。または、高山清見道路(中部縦貫自動車道)高山西ICから約59km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 温泉寺 TEL:0576‐25-2465
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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