福井県吉田郡永平寺町、松岡古墳群にある墳丘長129mの前方後方墳(あるいは前方後円墳)が、手繰ヶ城山古墳(てぐりがじょうやまこふん)。福井県では六呂瀬山一号墳(墳丘長140m/坂井市)に次ぐ巨大な古墳で、国の史跡。被葬者は、九頭竜川の水利権を押えた「越の国」の王墓ではないかと推測されています。
九頭竜川を掌握した「越の国」の王墓
松岡古墳群は、前方後円墳4基と陪塚(ばいちょう=主墳に付属する規模の小さい古墳)3基からなり、手繰ヶ城山古墳は、吉野岳から北にのびた尾根の頂、標高160mという高所に、急峻な尾根を巧みに利用して築かれた巨大な古墳です。
墳丘は2段築成で、斜面には河原石を用いた葺石が敷き詰められ、墳頂部と中段のテラスには円筒埴輪、朝顔形埴輪が並んでいました。
石室などの埋葬施設は未調査のため、築かれた年代に関しては推測の域を出ませんが、4世紀末〜5世紀初頭(古墳時代中期)と考えられています。
ヤマト王権による日本の統一が進み、各地の首長がヤマト王権の支配下に置かれるのは、5世紀〜6世紀。
若狭・越前に置かれた国造として、若狭国造、高志国造(福井県福井市周辺)、三国国造(現・福井県坂井市・あわら市周辺)、角鹿国造の4つがあり、とくに高志国造、三国国造のエリアには巨大な古墳が築かれています。
画像協力/福井県観光連盟
手繰ヶ城山古墳 | |
名称 | 手繰ヶ城山古墳/てぐりがじょうやまこふん |
所在地 | 福井県吉田郡永平寺町法寺岡 |
電車・バスで | えちぜん鉄道志比堺駅から徒歩30分 |
ドライブで | 北陸自動車道福井北ICから約5km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 永平寺町教育委員会 TEL:0776-61-3400/FAX:0776-61-2009 |
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