常陸国一之宮の鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)。社殿の入口に建つ楼門は、左右に接続する回廊と同じ寛永11年(1634年)、初代水戸藩主・徳川頼房(とくがわよりふさ=徳川家康の11男)の造営。大工棟梁は越前(現・福井県)の坂上吉正(鎌倉時代以来の工匠の家柄・坂上氏)。その美しい楼門は国の重要文化財、そして日本三大楼門のひとつ。
徳川頼房が家光の病気平癒で寄進
徳川頼房は、幼少で常陸水戸城25万石を領しましたが、駿府城で家康のもとで育てられ、家康没後は、2代将軍・徳川秀忠の意向で、家光の側近として江戸城内で育てられ、寛永3年(1626年)、家光の上洛に同行しています。
徳川姓を許されたのは、鹿島神宮・楼門完成後の1636年(寛永13年)。
『鹿嶋社楼門再興次第記』によれば、徳川頼房が3代将軍・徳川家光の病気平癒を鹿島神宮大宮司・則広に依頼し、家光が快方に向かったために奉納されたと記されています。
寛永8年(1631年)に大御所となった徳川秀忠が病となり、翌寛永9年1月に死去していることから、家光の病気回復を祈願したものと推測できます。
隅田川・吾妻橋近くの水戸藩江戸下屋敷で130余人の大工が切組み、船筏で運んで組み立てました。
楼門は、総朱漆塗り(昭和15年の修理時に総朱漆塗り)で、わずかに欄間などに彩色を飾り、1階の両脇間には随神像を安置しています。
現在は銅板葺きですが、もとは檜皮葺き(ひわだぶき)でした。
鹿島神宮・楼門 | |
名称 | 鹿島神宮・楼門/かしまじんぐう・ろうもん |
所在地 | 茨城県鹿嶋市宮中2306-1 |
関連HP | 鹿島神宮公式ホームページ |
電車・バスで | JR鹿島神宮駅から徒歩7分、高速バス利用の場合は関東鉄道鹿島バスターミナルから徒歩5分 |
ドライブで | 東関東自動車道潮来ICから約6.5km |
駐車場 | 第一駐車場(60台/有料)、第二駐車場(55台/無料)、臨時駐車場(330台/無料、正月・祭礼寺は有料) |
問い合わせ | 鹿島神宮 TEL:0299-82-1209/FAX:0299-82-1625 |
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