日本三大楼門とは!?

日本三大楼門

寺社の入り口に建ち、2階建てで上部に屋根がある門が楼門(ろうもん)。日本三大楼門に数えられるのは、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、筥崎宮(福岡県福岡市)、そして阿蘇神社(熊本県阿蘇市)の各楼門。共通するのは、いずれの神社も、歴史を有する一之宮だということ。美しい楼門は格式の証でもあるのです。

鹿島神宮・楼門

神社所在地:茨城県鹿嶋市宮中2306-1
神社由緒:古代、ヤマト王権の前線基地が常陸国(現・茨城県)。『常陸国風土記』には天智天皇年間(668年〜672年)造営と記されています
社格:式内社(名神大社)、常陸国一之宮
現存する楼門:寛永11年(1634年)、初代水戸藩主・徳川頼房(とくがわよりふさ)の造営、国の重要文化財

鹿島神宮

鹿島神宮

創建は皇紀元年(紀元前660年)と伝えられ、香取神宮 (千葉県香取市)、息栖神社(いきすじんじゃ/茨城県神栖市)とともに東国三社のひとつが茨城県鹿嶋市の鹿島神宮。鹿嶋市の市の名ももちろんこの名社に由来し、鹿島神宮は常陸国一之宮でもあるのです

鹿島神宮・楼門

鹿島神宮・楼門

常陸国一之宮の鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)。社殿の入口に建つ楼門は、左右に接続する回廊と同じ寛永11年(1634年)、初代水戸藩主・徳川頼房(とくがわよりふさ=徳川家康の11男)の造営。大工棟梁は越前(現・福井県)の坂上吉正(鎌倉時代以来の工匠

筥崎宮・楼門

神社所在地:福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
神社由緒:社伝では、延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり創建(日本三大八幡宮)
社格:式内社(名神大社)、筑前国一之宮
現存する楼門:文禄3年(1594年)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)の造営、国の重要文化財(一般の参拝はこの楼門の下で)

筥崎宮

筥崎宮

宇佐神宮、石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられる福岡市に鎮座する古社が筥崎宮(はこざきぐう)。平安時代初期の延喜21年(921年)、醍醐天皇が神託により大陸・玄海灘に面した地に、国家鎮護のため壮麗な社殿を建立。延長元年(92

筥崎宮・楼門

筥崎宮・楼門

福岡県福岡市東区にある筑前国一之宮が筥崎宮(はこざきぐう)。宇佐神宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮(京都府八幡市)と並び、日本三大八幡宮にも数えられる古社ですが、楼門は文禄3年(1594年)、名島城主・小早川隆景の建立で、国の重要文化財、そ

阿蘇神社・楼門

神社所在地:熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
神社由緒:社伝では、孝霊天皇9年、初代・阿蘇国造(あそのくにのみやつこ)となる速瓶玉命(はやみかたまのみこと)が創建
社格:式内社(名神大社)、肥後国一之宮
現存する楼門:嘉永元年(1848年)、社殿再興事業での造営、国の重要文化財

阿蘇神社

阿蘇神社

阿蘇市一の宮町にあり、創建は神代に遡ると伝えられる古社で、一の宮町の町名も阿蘇神社が肥後国(ひごのくに)一之宮であることに由来します。阿蘇開拓の祖で神武天皇の孫といわれる健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ、十二神を祀り、青森県を北限に

阿蘇神社・楼門

阿蘇神社・楼門

肥後国一之宮として崇敬され、全国523社ある阿蘇神社の総本社が、熊本県阿蘇市の阿蘇神社。古代から阿蘇氏が大宮司を務め、今も宮司は阿蘇氏という歴史を誇っています。明治初年の神仏分離以前は神仏習合で(神宮寺は天台宗の青龍寺)、楼門も仏閣の様式で

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