茨城県笠間市にある笠間城の貴重な遺構が旧笠間城八幡台櫓。笠間城本丸の八幡台にあったものを、廃城令(明治6年)後の明治13年、山麓の日蓮宗の寺、真浄寺に移築復元した櫓で、平時は、武器貯蔵庫として、戦時は物見に使われたと推測されています。茨城県の文化財に指定。
笠間城の本丸にあった櫓を
笠間城には天守曲輪に天守櫓、本丸に八幡台櫓と宍ヶ崎櫓(ししがさきやぐら)という2つの物見櫓が備えられていました。
ただし、笠間藩の藩庁、藩主の居館としては山麓の下屋敷が使われたので、物見櫓というよりも武器貯蔵庫として使われていたのだと推測できます。
現在、真浄寺の七面堂として使用されている。
木造2層の入母屋造り、瓦葺き、塗籠(ぬりごめ)といわれる白壁で、柱、貫、庇まで木地の見えないように全表面が塗り込められ、屋根瓦の先端には鯱が飾られた美しい櫓です。
真浄寺は、慶長元年(1596年)、徳川家康の祖母で、徳川秀忠の乳母・正心院殿日幸尼(しょうしんいんどのにっこうに=大姥ノ局)霊牌を安置する日蓮宗の寺として創建し、寛永17年(1640年)頃に現在地に移りましたが、明治維新で笠間藩、水戸徳川家という後ろ盾を失い、廃仏毀釈の荒波で明治4年に廃寺に。
その後、明治13年、中村日円上人を迎えて復興しているので、中村日円上人と檀家の尽力で明治13年に破却を免れ、移築されたことがわかります。
現在は七面堂と称して、三尊神(七面大明神=法華経を守護するとされる女神、三十番神=ひと月30日の間をそれぞれ分担して守護する30体の法華経守護神、鬼子母神=安産・子育の神様)を祀る仏堂となっています。
七面堂に置かれた賽銭箱は、大正14年、笠間の芸妓が寄進したもので、賽銭箱の裏側に寄進した芸妓90人余の置屋(井筒屋、新大黒屋、松廻家など)と名前(源氏名)が墨書されています。
令和元年11月、笠間の芸妓組合は106年続いた歴史にピリオドを打っているので、笠間の芸妓の歴史を後世に伝える貴重な文化財になっています。
ちなみに、笠間の芸妓がもっとも隆盛したのは、つくば万博が開催された昭和60年で、置屋がなんと40軒、芸妓の数は100人を数えています。
旧笠間城八幡台櫓 | |
名称 | 旧笠間城八幡台櫓/きゅうかさまじょうはちまんだいやぐら |
所在地 | 茨城県笠間市笠間 |
関連HP | 笠間市公式ホームページ |
電車・バスで | JR笠間駅から徒歩30分 |
ドライブで | 北関東自動車道友部ICから約7km |
問い合わせ | 笠間市生涯学習課文化振興室 TEL:0296-77-1101/FAX:0296-71-3220 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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