サイトアイコン ニッポン旅マガジン

薬王院温泉寺

薬王院温泉寺

石川県加賀市の山代温泉にある温泉守護の寺が、薬王院温泉寺。山代温泉は奈良時代、行基開湯という歴史を誇る古湯。行基が温泉守護のため、薬師如来などを彫り、堂宇を建てたのが温泉寺の創建で、平安時代の中期に明覚(みょうがく)が七堂迦藍を建立し、その後は勅願寺として盛栄しました。

山代温泉の温泉を守護する古刹

寺伝によれば、行基は養老元年(717年)、泰澄(たいちょう)が開山した白山に登拝する途中、霊鳥の指授により、山代温泉を発見したのだとか。
温泉守護のために主尊の薬師如来、脇侍(わきじ)の日光菩薩、月光菩薩、そして眷族(けんぞく)として十二神将(じゅうにしんしょう)を祀り、さらに白山権現(白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で、十一面観音菩薩が本地仏)を勧請しています。

寺号碑に「花山法皇勅願所 山代温泉守護」とあるのは、寛和・永延年間(985年~988年)に花山法皇が勅願所にしたから。
温泉寺が勅願寺となったことに伴い、寺の隆盛とともに山代温泉の名も全国に知れ渡るように。
比叡山で修行した明覚(みょうがく)が寺に入ったのは、天喜4年(1056年)が生年なので、平安時代の中期のこと。

戦国時代に一向一揆、そして越前の朝倉義景(あさくらよしかげ)の兵火で焼失していますが、藩政時代に大聖寺藩初代藩主・前田利治(まえだとしはる)が堂宇を再建しています。
長徳3年(997年)、花山法皇の勅願もあり、

天台宗の僧侶・明覚上人を供養した五輪塔は、室町時代初期のもので国の重要文化財。
緑したたる境内は紅葉の名所でもあり、五十音の創始者・明覚上人ゆかりの寺ということで、境内には遊歩道「あいうえおの道」が設けられています。

アイウエオの「五十音図」は山代温泉で生まれた!?

天台僧・明覚は悉曇学(しったんがく=サンスクリット語、梵字を研究する学問)の第一人者で、寛治7年(1093年)に著した『反音作法』(はんいんさほう)の中に、現存する最古の五十音図が描かれています(各段、各行の並び方は悉曇学を採用)。
そのため、明覚上人は、五十音の創始者といわれています。
平安時代半ば、日本語は、話し言葉と書き言葉の乖離(かいり)によって混乱が生まれ、それまでの表記ではうまく書き表せない状態になっていたのです。
仏説を本当に理解するためには空海同様に梵字(サンスクリット語)を学ぶ必要があるとし、かなの優位性を説いています。
こうして、加賀、山代温泉で生まれたのが、五十音図の基礎築く、『反音作法』だったのです。

ただし、『反音作法』では、段は現在のアイウエオの順ですが、行の配列は、アカヤサタナラハマワの順になっています。

薬王院温泉寺
名称 薬王院温泉寺/やくおういんおんせんじ
所在地 石川県加賀市山代温泉18-40甲
関連HP 加賀市観光情報センター KAGA旅・まちネット公式ホームページ
電車・バスで JR加賀温泉駅から加賀温泉バス山中温泉行きで15分、山代西口下車、徒歩5分
ドライブで 北陸自動車道加賀ICから約7.7km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 薬王院温泉寺 TEL:0761-76-1155/FAX:0761-77-6693
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

山代温泉総湯

石川県加賀市の山代温泉にある共同湯が、総湯。江戸時代の山代温泉は、湯の曲輪(ゆのがわ)と呼ばれる総湯(共同湯)を中心に宿が立ち並び、温泉街を構成していますが、その湯の曲輪の再生で、かつての総湯を明治の湯浴みを復元した古総湯、そして旧吉野屋旅

山代温泉古総湯

石川県加賀市の山代温泉には、湯の曲輪(ゆのがわ)の再生で、以前の総湯(共同湯)を再生し明治時代の総湯を復元した古総湯と、新しい総湯というふたつの総湯が誕生。そのうち古総湯は、明治時代の総湯を復元したレトロな雰囲気が自慢。2階の休憩所や、浴室

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了