石川県河北郡内灘町、河北潟の畔、内灘町総合公園に隣接して建つ内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」横に移設されているのが、粟ヶ崎遊園本館ゲート。大正14年7月19日、「北陸の材木王」・平沢嘉太郎(ひらさわかたろう)によって内灘村に創設された粟ヶ崎遊園の現存する唯一の遺構です。
平沢嘉太郎が築いた大遊園地の本館ゲートのみが現存
戦前、内灘駅の南西部に、兼六園の2倍という20haという広大な面積を誇った大遊園地が「粟ヶ崎遊園」。
平沢嘉太郎は、幕末の元治元年(1864年)、石川郡田井村(現・金沢市田井町)に鈴木幸作の三男として生まれ、後に平沢家の養子となり、材木商として事業を拡大させ、「北陸の材木王」と呼ばれるまでに成功した実業家。
「自分の別荘を持ちたいとは思わない、日本一のこの大砂丘に市民の別荘を創るのが私の夢」(平沢嘉太郎)という「北陸の材木王」の夢を実現させたのが、粟ヶ崎遊園です。
大正13年に地元の資本を集めて浅野川電気鉄道(現・北陸鉄道浅野川線)を開業させた平沢嘉太郎は、翌年、個人事業として粟崎海水浴場、「粟ヶ崎遊園」を開設していますが、これは宝塚を創設した阪急電鉄・阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者・小林 一三(こばやしいちぞう)を尊敬していたため(大正3年に宝塚歌劇団を創設、沿線開発を実施)、鉄道事業と、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルを真似て「粟ヶ崎遊園」を開園させたのです。
粟崎海水浴場に隣接して、遊園地、「北陸の宝塚」を目指した1000人収容の大劇場、大浴場、動物園、こどもの国、宿泊施設、食堂、野球場、スキー場まで備えたレジャーランドで、昭和3年には、新国劇の俳優・川上一郎を座長に「粟ヶ崎大衆座」を旗揚げ、さらに宝塚少女歌劇を倣って「粟ケ崎少女歌劇団」(全盛期には宝塚出身者が所属するなどスターも輩出)を編成し、「タカラジェンヌ」をもじった「アワジェンヌ」を大劇場での公演の目玉にしています。
残念ながら軍靴の足音とともに、軍事色が強い出し物に変化し、ついに昭和16年8月31日には軍部に接収され、建物が解体されて日本コピーライター(軍需工場)に改変され、平沢嘉太郎の没後、粟ヶ崎遊園の事業を継いだ鉄道会社が復活に消極的だったこともあって再開することなく閉園しています。
粟ヶ崎遊園本館は私立藤花高校の同窓会館として利用されていましたが、その後、取り壊され、高さ5.1m、幅4.6mの本館ゲートのみ、内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」横に移設され、現存。
粟ヶ崎遊園本館ゲート | |
名称 | 粟ヶ崎遊園本館ゲート/あわがさきゆうえんほんかんげーと |
所在地 | 石川県河北郡内灘町字宮坂に456 |
関連HP | 内灘町観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 北陸鉄道浅野川線内灘駅からタクシーで8分 |
ドライブで | 北陸自動車道金沢東ICから約10km |
駐車場 | 内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」駐車場(90台/無料)を利用 |
問い合わせ | 内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」 TEL:076-286-1189/FAX:076-286-1189 |
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