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視界に人工物ゼロ! 「子抱き富士」の精進湖は、英国人が見出した元祖・避暑地

精進湖

訪日外国人に人気の富士五湖。とくに河口湖周辺にはあふれるほどの訪日外国人ですが、少し足を伸ばした精進湖(しょうじこ)は、まだまだ静かな存在。富士五湖最小の湖ですが、眼前が青木ヶ原樹海となるため視界に入る人工物ゼロ。それでいて「子抱き富士」の絶景で、避暑地としても絶好です。

明治28年には外国人向けの「精進ホテル」も開業

訪日外国人賑わう河口湖ですが、 明治27年、富士山麓を1年がかりで巡った英国人英国人ハリス・スチュアート・ホイットウォーズ(ソロモンと通称)は、精進湖からの富士山こそ最も美しい眺めと確信、「東洋のスイス」とロンドンタイムズなどに投稿。

精進湖を選んだ最大の理由は、やはり、「子抱き富士」と称されるその絶景から。
寄生火山の大室山がまさに「子」のように富士山の膝の上に乗る形で、まさに「子抱き富士」という名がピッタリの光景です。
さらに精進湖からの富士山は、大沢崩れのような崩壊や、宝永火山のような突起がないため、スロープも美しく眺められるという好立地。
しかも人工物のない視界と澄んだ湖水なので、ここを選んだ理由はよくわかります。

精進湖という名ももともと富士登山の際に精進潔斎(しょうじんけっさい=肉食を断ち、行いを謹んで身を清めること)の地だったことに由来するとされ、神秘的な雰囲気すら漂っています。

ホイットウォーズはそんな精進湖を永住の地と決め、明治28年、精進湖に突き出した半島に西洋式ホテル(外国人専用ホテル)の「精進ホテル」を建設。
明治末期から昭和初期には、日本有数の避暑地「ジャパン・ショージ」として脚光を浴びるようになり、明治末期には「ジャパン・レイク・ショージ」だけで外国郵便が届いたというエピソードも残されています。

当時の外国人観光客の富士五湖探勝は、横浜(ニューグランドホテル)から箱根(富士屋ホテル)を経て、御殿場(当時の東海道本線は御殿場回り)から御殿場馬車鉄道(明治34年開業)で籠坂峠を越えて山中湖に、さらに都留馬車鉄道で富士吉田に至り、河口湖畔船津(中屋旅館泊)に入り、精進湖畔の精進ホテルへという行程で、避暑と富士山眺望目的での来訪が多数でした。

富士山眺望のスポットとして湖の西、本栖湖へと向かう根子峠近くにパノラマ台も開発され、馬、または箱根の旅館が考案したという「チェアー」と呼ばれる蓮台(椅子に2本の棒を通し4人で担ぐ)でパノラマ台を遊覧したのです(山中湖のパノラマ台とは異なります)。

昭和天皇が皇太子時代の大正10年に軍艦「香取」で訪欧した際、ホイットウォーズ氏の新聞記事をロンドンで読み、エドワード皇太子に「訪日の際は精進湖に」と誘ってもいるのです。
エドワード皇太子は大正11年に来日しましたが、残念ながら悪天候のため精進湖訪問を断念。
その年の10月には皇太子(後の昭和天皇)が精進湖を訪問し、精進ホテルに宿泊しています。

精進ホテルは昭和13年、上野精養軒が経営を引き継ぎ、夏季のリゾートホテルとして営業していましたが、経営の悪化で富士急行に売却、結局、改修もままならずに廃墟となっています(立ち入りはできません)。

精進湖を避暑地として見出したホイットウォーズは明治40年、日本に帰化し、星野芳春と名を改め、精進湖北の龍泉寺に眠っています。

精進湖からの「子抱き富士」
パノラマ台からの富士山、今も人工物がないアングルです
精進湖
名称 精進湖/しょうじこ
所在地 山梨県南都留郡富士河口湖町精進
関連HP 精進湖観光協会公式ホームページ
電車・バスで 富士急行線河口湖駅から富士急行バス本栖湖方面行きで35分、精進下車
ドライブで 中央自動車道河口湖ICから約16km
駐車場 県営精進駐車場(50台/無料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

精進湖

富士五湖でもっとも小さな湖が山梨県富士河口湖町にある精進湖(しょうじこ)。「富士山域」として世界文化遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつになっています。平安時代初期、富士山の貞観大噴火(じょうがんだいふんか)で

精進湖・他手合浜(子抱き富士)

山梨県南都留郡富士河口湖町、精進湖北岸にある絶景の浜が、他手合浜(たてごうはま)。ここから眺める富士山は通称「子抱き富士」。富士山の手前に寄生火山(側火山)の大室山(1468m)がちょうど富士山が子を抱くかのように位置しているのがその名の由

 

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