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高松城・艮櫓

藩政時代には20の櫓があり、海上から見るとまさに浮城のように見えたという高松城(玉藻公園)。艮櫓(うしとらやぐら=丑寅櫓)は高松城東の丸にあった隅櫓(すみやぐら)で、北東(丑寅の方角)という高松城の鬼門を鎮護していた櫓です。

高松城東の丸にあった隅櫓は桜の馬場に移築

東の丸は現在の香川県県民ホール(レクザムホール)や香川県立ミュージアム周辺。
1671(寛文11)年頃の改修で北側の海が埋め立てられ、新たなる脅威に備えて1677(延宝5)年に櫓が築かれました。
現存する月見櫓とほぼ同時期の築造です。

艮櫓は、昭和40年に桜の馬場の太鼓櫓跡に移築され、国の重要文化財に指定されています。

3層3階入母屋造り本瓦葺きで、初層に千鳥破風が施されているので少し優美な雰囲気に。
それでいて、石落しを取付けているため、移築の際に建物を右に90度回転させて設置したため、往時とはその向きが異なっている点にご注意を。
袴腰型の石落としが東南、東北、南西の堀側に張り出しています。

月見櫓のような隠狭間はありませんが、各階の四方に銃眼が開かれています。

高松城・艮櫓
名称高松城・艮櫓/たかまつじょう・うしとらやぐら
所在地香川県高松市玉藻町2-1
関連HP高松城(玉藻公園)公式ホームページ
電車・バスでJR高松駅から徒歩3分
ドライブで高松自動車道高松中央ICから約6km
駐車場玉藻公園駐車場(57台/無料)
問い合わせ玉藻公園管理事務所 TEL:087-851-1521/FAX:087-823-6390
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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