桜島の東岸にある腹五社神社(黒神神社)の鳥居が黒神埋没鳥居。大正3年1月12日に始まった桜島の大爆発で、それまでは完全な島だった桜島は大隅半島が陸続きとなりましたが、その爆発で腹五社神社参道の鳥居は軽石や火山灰によって笠木部分を残して埋没。高さ3mもあった鳥居は、人の背丈以下になってしまっているのです。
30億トンの溶岩流で島が陸続きに
大正3年の噴火で噴出した溶岩の量は約30億トンと推測され、桜島の面積の3分の1を覆い、桜島は陸続きになりました。
1月12日午前、桜島南岳の西山腹と東山腹で大噴火が始まり、13日夜に溶岩流が発生。
噴火と地震は1ヶ月も続いたのです。
井戸の水位低下、有感地震の多発など、前兆もあったことから(前日の1月11日午後には1時間に50回以上の地震が発生)自主避難した島民もいましたが、東桜島、西桜島役場からの問い合わせなどに対し鹿児島測候所(当時鹿児島測候所に設置されていたのは旧式の地震計が1台)は「震源地は桜島ではない、桜島に危険はない」と回答。
半数以上の集落は、船で対岸の町村を目指し自主避難を行ないますが、数千人が島に残り、鹿児島港に停泊していた汽船が救助に向かいましたが、泳いで逃げようとした人々などから死者2名、行方不明者23名を生み出す惨事となったのです。
「住民ハ理論ニ信頼セズ異変ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ・・・」(東桜島小学校に建つ通称「科学不信の碑」碑=桜島爆発記念碑)。
火山の脅威を体感できる貴重な鳥居
被災時の東桜島村長(東桜島村は昭和25年に鹿児島市に編入)は噴火の脅威を後世に伝えようと掘り起こすのをやめたため、そのままの形で現在に至っています。
周辺には昭和21年爆発の昭和溶岩も押し寄せ、黒神地区の北には昭和溶岩地帯展望台(黒神ビュースポット)も。
「桜島の大爆発 鹿児島市民人心恟恟(きょうきょう)たり 全市警戒の大警報出づ!!」(大正3年1月13日付『時事新報』)
大正3年の爆発当時、黒神、有村、古里などの集落があり、頂上付近にも小さな温泉場があったという桜島。
桜島の人口は2万1000人もあったといい(現在は5000人ほど)、新聞記事からもその被害の大きさがよくわかります。
腹五社神社のある黒神集落687戸も同時に埋没してしまったといい、被害の大きさをイメージする貴重な遺跡となっており、桜島・錦江湾ジオパークのジオサイトになっています。
黒髪地区には、文明溶岩が海上に伸びてできた大燃崎、昭和溶岩(昭和21年)によって生まれた地獄河原などもあり、火山の脅威がよくわかります。
黒神埋没鳥居 | |
名称 | 黒神埋没鳥居/くろがみまいぼつとりい Kurokami Maibotsutorii (Kurokami Buried Shrine Gate) |
所在地 | 鹿児島県鹿児島市黒神町 |
関連HP | 鹿児島市観光サイト |
電車・バスで | 桜島港から鹿児島市営バス白浜方面行きで30分、黒髪中学校前下車、徒歩3分。または桜島港からタクシーで20分 |
ドライブで | 桜島港から約17km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 鹿児島市観光交流センター TEL:099-298-5111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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