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霧島神宮

霧島神宮

鹿児島県霧島市にある古社、霧島神宮。祭神は、神話の世界で天照大神の命により高天原から地上に降りたと伝わる(天孫降臨神話)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。もとは天孫降臨の地、霊峰・高千穂峰に僧・慶胤(けいいん)によって創建されたと伝えられています。明治以前は霧島六所権現の中心として繁栄しました。

創建当初は高千穂峰の山上に

その後、火山の噴火により焼失、天暦年間、天台宗の僧・性空(しょうくう=霧島山などで修行し、後に書写山圓教寺を創建)が現在の高千穂河原付近(古宮址、ふるみやあと)に移し、さらに文明16年(1484年)、守護大名・島津忠昌(しまづただまさ)の命により現社地に遷座しています。

明治の神仏分離までは西御在所霧島権現と称した神仏習合(本地仏は十一面観音)で、もともとは高千穂峰に対する山岳信仰だったと推測できます。

中世には霧島山の周辺にある6ヶ所の寺社(神仏習合)、霧島六所権現の中心として繁栄しました。

代々当地を治めた島津氏の信仰は篤く、現在の社殿は、正徳5年(1715年)、第4代薩摩藩主・島津吉貴(しまづ よしたか)によって再建されたもの。
「西の日光」とも称された見事な社寺建築は、彩色や壁画、彫刻などの保存状態も良好で、本殿、弊殿、拝殿は国の重要文化財に指定されています。

境内にそびえる御神木の杉は推定樹齢800年で、南九州の杉の祖先ともいわれています。
坂本龍馬とお龍も慶応2年3月29日(1866年5月13日)、念願の高千穂峰登山を果たし、下山後、霧島神宮に参拝し、この大杉を見上げています。

勇壮な郷土芸能として有名な九面太鼓は、毎年元旦と2月11日に本殿で奉納。
6月第1日曜には『狭名田の長田御田植祭』(さなだのおさだおたうえさい)が行なわれています。

霧島神宮
名称 霧島神宮/きりしまじんぐう
所在地 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
関連HP 霧島神宮公式ホームページ
電車・バスで JR霧島神宮駅から鹿児島交通の霧島神宮行きバスで8分、霧島神宮前下車すぐ
ドライブで 九州自動車道溝辺鹿児島空港ICから約24km
駐車場 500台/無料
問い合わせ 霧島神宮 TEL:0995-57-0001
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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