神奈川県鎌倉市、鎌倉市街の入口に位置する稲村ヶ崎から西(江の島側)の小動岬(こゆるぎみさき)にかけて続く長い汀線(ていせん)をもつ浜が七里ヶ浜。その名は、鎌倉時代の単位でおよそ7里(約4.2km)あったことに由来(実際には3kmほど)。砂は砂鉄を含んでいるため、黒味を帯びているのが特徴的。日本の渚百選に選定。
江の島越しに富士を眺望する絶景の浜
鎌倉時代の単位(6町を1里)としてもかなり足りないため、もともとは鶴岡八幡宮を起点とし、腰越までの距離「浜七里」(密教の七里結界)に由来するものとも推測されています(横浜市栄区に野七里という地名が現存)。
海底に波浪による浸食地形の波食台があり、複雑な波が立つためサーフィンに絶好の浜ですが、海水浴はできません。
七里ヶ浜からは、江の島から稲村ヶ崎までを一望し、晴れた日には江の島越しに富士山を眺望する絶景を得ることができます。
歴史的には極楽寺坂切通しの開削後は、鎌倉と上方を結ぶ街道沿いに位置し、新田義貞軍の鎌倉攻めも七里ヶ浜から稲村ヶ崎を越えて鎌倉へと侵入しています。
明治12年には、 医学者エルヴィン・フォン・ベルツ博士が七里ヶ浜を保養適地として紹介、明治36年には江之島電気鉄道が開通しています。
明治43年1月23日には、七里ヶ浜沖で逗子開成中学ボート遭難事故が起き(12名が死亡)、稲村ヶ崎に慰霊碑が建立されています(鎮魂歌『七里ヶ浜の哀歌』、通称『真白き富士の根』が有名)。
昭和51年〜昭和52年には日本テレビ系連続ドラマ『俺たちの朝』(出演:勝野洋、小倉一郎、長谷直美)がヒットして極楽寺駅などが登場、「七里ヶ浜ブーム」を生んでいます。
海岸から少し入った場所に「鎌倉プリンスホテル」(平成7年開業)があり、渡辺淳一のベストセラー『失楽園』(平成7年『日本経済新聞』に連載)の舞台として有名です。
稲村ヶ崎寄りの海岸には、哲学者・西田幾太郎博士の歌碑「七里濱 夕日漂う波の上に 伊豆の山々果し知らずも」も立っていますが、西田幾太郎は昭和8年〜昭和20年、七里ヶ浜に居住していました(建物は「学習院西田幾多郎博士記念館「寸心荘」」として現存)。
広重、北斎が描いた七里ヶ浜
歌川広重の『冨士三十六景』のうち、「相模七里か浜」はここで描かれたもの。
江戸時代の錦絵にはこの七里ヶ浜からの江の島と富士が多数描かれています。
『鎌倉七里ケ浜ヨリ江の嶌遠見』(五風亭貞虎)、『相州七里ケ浜 江之嶋金亀山遠景之図』(歌川広重)などはいずれも女性たちの行楽風景が描かれています。
葛飾北斎『富嶽三十六景』の「相州江の島」は、片瀬海岸からといわれていますが、絵柄や江の島と富士山の位置関係は『鎌倉七里ケ浜ヨリ江の嶌遠見』(五風亭貞虎)と酷似しているので、七里ヶ浜からの風景とも考えられます。
七里ヶ浜 | |
名称 | 七里ヶ浜/しちりがはま |
所在地 | 神奈川県鎌倉市七里ガ浜 |
電車・バスで | 江ノ島電鉄七里ヶ浜駅からすぐ |
ドライブで | 浜横須賀道路朝比奈ICから約13km |
駐車場 | 七里ヶ浜駐車場(332台/有料) |
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