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旧横浜港駅プラットホーム

旧横浜港駅プラットホーム

生糸の輸出全盛時代に、新港埠頭と当時の横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ横浜臨港線として、明治43年8月15日に開通し、明治44年9月1日に横浜港荷扱所として開業したのが横浜港駅。大正9年7月23日付で正式に横浜港駅(よこはまみなとえき)となったプラットホームが横浜赤レンガ倉庫横に、旧横浜港駅プラットホームとして現存。

憧れのサンフランシスコ航路に接続するボート・トレインも発着

当初は貨物輸送だけでしたが、新港埠頭4号岸壁の脇に旅客用のプラットホームが築かれ、大正9年7月23日、横浜港駅として使用されるようになってからは、日本郵船と東洋汽船(安田財閥系の海運会社でサンフランシスコ航路が東洋汽船の顔でしたが、客船部門は大正15年に日本郵船に合併)のサンフランシスコ航路出航日に合わせて東京駅からのボート・トレイン(Boat train=船車連絡列車)も運行されています(東京発12:30→横浜港着13:15)。
ボート・トレインは、ウラジオストク(帝政ロシア)への外洋航路と連絡するため明治45年、東京駅〜金ヶ崎駅(現・敦賀港駅)間に運転されたのが始まり。

太平洋戦争が勃発する直前、昭和16年7月18日に出航の日本郵船ホノルル便「浅間丸」への連絡が戦前に横浜港駅へと運転された最後のボート・トレインだったと推測されています(「浅間丸」は横浜港へ引き返しています)。

戦後も昭和32年8月28日〜昭和35年8月27日の間、東京駅〜横浜港駅間にボート・トレインが運行され、日本郵船「氷川丸」のシアトル便に接続していました。

横浜港駅は貨物駅として高度成長時代にも存続しましたが、昭和57年11月15日に横浜港信号場という信号場に格下げされ、さらに昭和61年11月1日に横浜臨港線と同時に廃止されています。

その後、横浜臨港線の廃線跡と鉄橋は、汽車道として整備され、横浜みなとみらい21地区の観光名所になっています。
旧横浜港駅は、旅客用のプラットホームのみ保存されていますが、実は長さを短縮し、上屋の鉄骨部分は新たに復元したもの。

このプラットホームの背後には昭和2年に全長170mの四号上屋が築かれ(それ以前の外国航路用の建物は関東大震災で倒壊)、2階に旅客待合室、食堂、貴賓室、携帯品検査所などが設置されていました。
現在の「海上保安資料館 横浜館」(工作船資料館)のある一帯が四号上屋のあった場所です。

横浜港駅を出発するボート・トレイン
旧横浜港駅プラットホーム
名称旧横浜港駅プラットホーム/きゅうよこはまみなとえきぷらっとほーむ
所在地神奈川県横浜市中区新港1-1
関連HP横浜赤レンガ倉庫公式ホームページ
電車・バスでJR桜木町駅から汽車道経由で徒歩15分
ドライブで首都高速横羽線みなとみらいランプから約1.8km
駐車場横浜赤レンガパーク駐車場(179台/有料)
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

横浜赤レンガ倉庫

横浜港・新港地区のシンボリックな風景のひとつが、横浜赤レンガ倉庫。新港埠頭脇に、古めかしくも美しいかつての2棟の倉庫が連なっています。明治32年、新港埠頭建設により、物資の一時保管場所として建てられたのが始まりで正式名は新港埠頭保税倉庫。設

汽車道

日本丸メモリアルパーク脇から、新港地区にある横浜ワールドポーターズまでの海上を歩く歩行者専用道が汽車道(きしゃみち)。かつての横浜臨港線の廃線跡で、みなとみらい21地区のホテル群や大観覧車を目に、のんびり歩けるプロムナードになっていいます。

港三号橋梁(汽車道)

汽車道に3つ連続するかつての鉄道橋のうち、旧横浜駅(現・桜木町駅側)から3番目にあり、もっとも小さな橋が港三号橋梁。明治39年に架設された北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁の100フィート鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)で昭和3年、横浜生糸検査所

港二号橋梁(汽車道)

明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で製作され、明治42年

港一号橋梁(汽車道)

明治44年に開通した初代横浜駅(桜木町駅)と新港埠頭を結ぶ臨港線に架橋された橋。現在は汽車道の遊歩道、人道橋として余生を送っています。1907年(明治40年)に、港二号橋梁とともにアメリカン・ブリッジで製作された30フィートの鈑桁橋2連と1

 

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