元和5年(1619年)頃~明治2年の間、芦ノ湖の湖畔に設置されたのが箱根関所(神奈川県箱根町)。江戸を守る重要な関所として俗にいう「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まったのが箱根関所です。平成19年3月に古文書をもとに京口御門、江戸口御門、足軽番所、大番所、厩(うまや)などを往時のままに正確に復原しています。
幕末の史料をもとに正確に復原
諸大名の婦女子を人質として江戸に住まわせるという政策上、西国への出女はそれが庶民であっても厳しく詮議したのです。
旅人たちが関所改めを待つ待機場だった千人溜(江戸口と京口の両側にあります)や雪隠(せっちん=トイレ)、馬をつなぎ止める外繋など細部に渡るまで再現され、街道時代の関所がどんなものだったのかよく分かる仕組み。
京口御門、江戸口御門とも江戸時代には明け六つ(季節により変動し、およそ日の出時)から暮れ六つ(およそ日没時)まで開いていました。
小田原からは厳しい登りとなるので、旅人は小田原宿を早立ちして、暮れ六つに間に合わせていたのです。
大番所には小田原藩の家紋を染めた幕が張られています。
大番所内の面番所で旅人の手形を調べました(現在の空港税関のようなチェックが行なわれていました)。
女性に対しては女役人が対応し、体つき、ほくろの位置、髪の毛の特徴に至るまで証文通りなのかをチェックしたため、江戸口御門側は渋滞することが日常的でした。
上番休息所は身分の高い役人が寝泊りする場所ですが、風呂がないので沸かし湯を浴びるだけでした。
雪隠も、実は役人専用の上番所下雪隠(かみばんしょしもせっちん)、足軽専用の足軽番所雪隠がありましたが、旅人は使うことができませんでした。
幕末の慶応元年(1865年)に行なわれた箱根関所の解体修理の詳細な報告書『相州箱根御関所御修復出来形帳』が静岡県韮山町(現伊豆の国市)の江川文庫から、昭和58年に発見され、その古文書をもとに箱根関所は復元されています。
室内の調度品まで再現していますが、建築方法なども昔のままに復元したという凝りようです。
享保14年(1729年)5月には中国の商人から8代将軍・徳川吉宗へ献上する象(ベトナム生まれのアジア象)が長崎から京を経て江戸に向かう途中、三島から箱根関所を越えて、小田原へと下っています。
箱根山で体調を崩したため、象に好物のまんじゅうやミカンを与えて看病し、無事に箱根の関所を越えることができたそうです。
ちなみに江戸時代の東海道は、箱根の関より西が「関西」でした。
箱根関所 | |
名称 | 箱根関所/はこねせきしょ |
所在地 | 神奈川県足柄下郡箱根町箱根 |
関連HP | 箱根関所公式ホームページ |
電車・バスで | 箱根登山鉄道箱根湯本駅から箱根登山バス、伊豆箱根バス箱根町行きで40分、関所跡下車、徒歩2分 |
ドライブで | 小田原厚木道路箱根口ICから約15km |
駐車場 | 恩賜箱根公園駐車場(123台/有料) |
問い合わせ | 箱根関所 TEL:0460-83-6635/FAX:0460-83-6383 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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