恩賜箱根公園

恩賜箱根公園

神奈川県箱根町元箱根、芦ノ湖に張り出した面積約17万平方メートルの小さな半島を利用した神奈川県立公園が恩賜箱根公園(おんしはこねこうえん)。明治天皇の箱根離宮(当初は函根塔ヶ島離宮)跡地で、古くは箱根権現の塔が立っていたことから、塔ヶ島または堂ヶ島とも呼ばれています。富士山のビューポイントとしても人気。

戦前は箱根離宮(函根塔ヶ島離宮)があった

明治時代以降に建設された最初の離宮で、当時の宮内省は、侍医らの進言に基づき、 「皇室の避暑」と「東京府下に悪疫流行の際の避病地」、さらに外国からの賓客のため、「山間清涼なる境」で「避暑に適する気候」の箱根に離宮の造営を計画し、芦ノ湖の湖畔、塔ヶ島と呼ばれる風光明媚な半島を購入します。

木造2階建ての西洋館(延べ563坪)と木造平屋建ての日本館(延べ355坪)からなり、職員の官舎や警備の兵舎などを備えた箱根離宮を建築し、明治19年7月に完成しています。
西洋館、日本館とも高台に建てられ、湖側に御座所が設けられていました。

昭和天皇も皇太子時代の大正3年、5年、7年に、宮ノ下御用邸から箱根離宮へと徒歩で移動し、芦ノ湖で淡水産の貝類を採集したり、ボート遊びをしています(『昭和天皇実録』)。
記録からは宿泊滞在先というより、休憩場所として利用していたことがわかります。

箱根離宮は、大正12年の関東大震災には耐えたものの、昭和5年の北伊豆地震で全壊(西洋館の一部は沼津市愛鷹小学校校舎に再利用)、荒廃し、御用地一帯は水没。

箱根離宮を模した「湖畔展望館」も建つ

戦後、神奈川県に下賜され、昭和21年5月5日に神奈川県立恩賜箱根公園として一般公開したもの。

箱根離宮が建っていたのは現在の中央広場で、箱根離宮を模した「湖畔展望館」が建ち、2階には茶処「緑賜庵」(りょくしあん)、休憩室、眺めのいいバルコニーが備わっています。

駐車場・入口から山上門跡・中央広場へと通じる正面園路は箱根離宮当時と同じです。
塔の鼻広場は、箱根離宮の時代から展望広場とされていた場所で、好天時には湖面に富士山が映り込む「逆さ富士」のビューポイントにもなっています。

広々とした馬場跡は、休憩広場(疎林の広場)に転用され、馬場付属施設があった場所は弁天の鼻展望台になっています。

二百階段と呼ばれる石段も、箱根離宮当時のもの。
駐車場になっている場所は、往時の前庭部分です。
離宮時代を偲ばせる遺構の多くが国の登録記念物になっているほか、公園全体が日本の歴史公園100選、関東の富士見100選にも選定されています。

恩賜箱根公園
名称 恩賜箱根公園/おんしはこねこうえん
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根171
関連HP 恩賜箱根公園公式ホームページ
電車・バスで 箱根登山鉄道箱根湯本駅から箱根登山バス、伊豆箱根バス箱根町行きで38分、恩賜公園前下車、徒歩5分
ドライブで 小田原厚木道路箱根口ICから約15km
駐車場 123台/有料、9:00〜1700、12月〜2月は16:30まで
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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