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江島神社・中津宮

江島神社・中津宮

神奈川県藤沢市江の島、江の島岩屋に祀られる弁才天参詣の江の島詣でで賑わった神仏習合時代の上之宮が、江島神社・中津宮(なかつみや)。 現在は、市寸島比賣命 ( いちきしまひめのみこと ) を祀る社で、芸能上達を願った江戸の歌舞伎劇場奉納の石灯籠も現存しています。

江戸歌舞伎の市村座、中村座奉納の石灯籠も現存!

かつての上之宮だけに高台に建ち、海を眼下に

江の島信仰は、寿永元年(1182年)、真言宗の僧・文覚が弁才天を祀り、その後、ともに伊豆国に配流された縁で、源頼朝の尊崇を受けたことに始まる歴史あるもの。
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で江島神社になっていましたが、それ以前の神仏習合時代には仏教色の強い弁才天(弁財天)信仰の島でした。

中津宮は、文覚創建以前の歴史をも伝える古社で、仁寿3年(853年)、円仁(慈覚大師)の創建という伝承があります。
現存する本殿・幣殿・拝殿からなる東照宮のような権現造りの社殿は、元禄2年(1689年)、5代将軍・徳川綱吉の再建(平成8年、平成23年に大改修)。

社殿脇の水琴窟を備えた庭園は、平成23年の改修時に築かれたもの。
安永6年(1777年)・市村座奉納、天明2年(1782年)・中村座奉納など、境内に奉納された数ある石灯籠は、芸能上達などを目的とした弁才天信仰の名残りです。
市村座、中村座は、江戸にあった歌舞伎劇場で、森田座とともに江戸三座を構成していました。

本宮(御窟)が、参詣の目的である弁才天を祀る現在の江の島岩屋で、上之宮(現・中津宮)、下之宮(現・辺津宮)の三宮からなり、それぞれを岩本院、上之坊、下之坊が別当(神社を管理する坊)になっていました(江戸時代半ばに岩本院が全島の権益を掌握)。

上之宮(現・中津宮)には、江の島詣での楽しみとされていた「妙音弁才天像」を安置する不老門、そして島外からもその姿が確認できた三重塔がありましたが、神仏分離、廃仏毀釈の荒波を受け、上之坊の僧も神職となり、仏教的要素の強いものは破却されてしまいました。

江島神社・中津宮
名称 江島神社・中津宮/えのしまじんじゃ・なかつみや
所在地 神奈川県藤沢市江の島2-3-8
関連HP 江島神社公式ホームページ
電車・バスで 小田急線片瀬江ノ島駅から徒歩18分
ドライブで 横浜横須賀道路朝比奈ICから約14km
駐車場 江の島なぎさ駐車場(232台/有料)
問い合わせ 江島神社 TEL:0466-22-4020
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

江島神社

江戸時代には箱根権現(現・箱根神社)に詣でる箱根詣、丹沢大山の石尊権現に参詣の大山詣(現・大山寺、大山阿夫利神社)と並んで参詣者の多かったのが江の島の「裸弁財天」を拝む江島詣。その江島詣を今に伝える古社が、江の島島内に鎮座する江島神社で、辺

江島神社・辺津宮

神奈川県藤沢市江の島、江の島岩屋に祀られる弁才天参詣の江の島詣でで賑わった神仏習合時代の下之宮が、江島神社・辺津宮(へつみや)。現在は田寸津比賣命 ( たぎつひめのみこと ) を祀り、青銅の鳥居、瑞心門をくぐり、江の島で最初に参拝する社が辺

江の島・青銅の鳥居

神奈川県藤沢市江の島1丁目、江の島島内の入口に立つのが青銅の鳥居。江の島弁天橋を渡った先、最初に参詣者を出迎える一の鳥居で、神仏習合時代の江島弁財天信仰を今に伝える鳥居で、江の島詣(江島詣)最盛期の延亨4年(1747年)に建立。現在の鳥居は

江の島岩屋

神奈川県藤沢市にある江戸時代には江の島詣(江島詣)で賑わった江の島。その江の島の最奥、稚児ヶ淵(ちごがふち)から海上に造られたコンクリート製の桟道を進んだ先にあるのが、江の島岩屋。役(えん)の行者が開き、空海(弘法大師)や日蓮上人も参籠した

江島神社・奥津宮

神奈川県藤沢市、江の島に鎮座する江島神社(えのしまじんじゃ)ですが、島の入口から頂に向かって、辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)があり、最後の社が奥津宮(おくつみや)。それぞれに三姉妹の女神が祀られ、奥津宮には最年長の多紀理比賣命(た

 

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