神奈川県鎌倉市、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第一位、北条時頼が開基の建長寺。建長寺。総門、三門(山門)、仏殿、法堂(はっとう)、方丈が一直線に並ぶ伽藍配置ですが、国の重要文化財に指定される三門(山門)の上層内部にあるのが日本三大五百羅漢像にも数えられる五百羅漢像です。
三解脱門をくぐり、煩悩を払って参詣を
安永4年(1775年)築で、国の重要文化財に指定されるのが三門(三解脱門)。
南宋からの渡来僧、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は、北条時頼によって鎌倉に招かれて、建長寺を開山、弘安元年7月24日(1278年8月13日)没していますが、現存する三門はその五百年忌に、第201世住職・万拙碩誼(ばんせつせきぎ)が関東一円から浄財を募って再建したもの。
棟梁は建長寺大工の河内長兵衛。
安永3年(1774年)には江戸に疫病が流行り、翌安永4年も春から時疫(じえき=疫病)が蔓延し、数万人が死んでいますが、万拙碩誼があまりに熱心に浄財を托鉢(たくはつ)で集めたため、狸(たぬき)が助けたという伝説を生んでいます。
疫病の流行と、飢饉のなかで、苦労の末に建立されたのですが、集まった米で粥を炊き、粥を食べながら粥で三門の土台をつき固めたことで、関東大震災でもびくともしない土台が生まれたともいわれています。
禅宗様を基調とした三間二重門で、2階正面中央には軒唐破風が設けられています。
この軒唐破風は、「建長興國禪寺」の大扁額を掲げるためのもの。
三間二重門としては、東日本最大のとして知られ、建長寺の近世伽藍再興の集大成といえる重要な建築物(建長寺は室町時代後期に寺勢が衰え、近世に諸堂が再建されています)。
吹き放しの下層は開放感がありますが、上層は深い軒と軒唐破風で重厚感を醸し出し、凛とした禅宗ならではの空気を生み出し、心が洗われる気がします。
2階部分に釈迦如来を中心に、銅造五百羅漢、十六羅漢を祀っていますが、三解脱門(さんげだつもん、略して三門)をくぐることによって、その下を通ると3つの煩悩、貪欲(とんよく=貪り・むさぼり)、瞋恚(しんに=怒り)、愚知(ぐち=愚かさ)がなくなり、心が清浄になるのだとか。
三解脱とは、解脱に至るまでの3つの克服すべき要素、すなわち煩悩のことで、この門をくぐり、仏道修行者の最高位にある十六羅漢・五百羅漢(羅漢=一切の煩悩を断って修行の最高位に達し、人々の供養を受けるに値する仏弟子)からその功徳(くどく)を分けてもらい、煩悩を払って参詣をということに。
三門楼上の五百羅漢は、特別参拝時にのみ公開。
銅造五百羅漢の鋳造の型(木彫)を造ったのは、江戸仏師・高橋鳳雲(たかはしほううん=弟子の高村東雲は、高村光雲の師匠)。
モチーフを写実的に表現することのできる蝋型鋳造(ろうがたちゅうぞう)の名手・村田整珉(むらたせいみん)の弟子、幕末の江戸で活躍した鋳金家の栗原貞乗(くりはらていじょう)の鋳造。
江戸蔵前の札差(ふださし=蔵米を取り扱い、蔵米を担保にして金融業を行なって蓄財)・伊勢屋嘉右衛門の発願で、幕末の文久3年(1863年)入仏供養が行なわれています。
建長寺・三門(五百羅漢) | |
名称 | 建長寺・三門(五百羅漢)/けんちょうじ・さんもん(ごひゃくらかん) |
所在地 | 神奈川県鎌倉市山ノ内8 |
関連HP | 建長寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR北鎌倉駅から徒歩15分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路朝比奈ICから約6.7km |
駐車場 | 30台/有料 |
問い合わせ | 建長寺 TEL:0467-22-0981 |
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