神奈川県横浜市中区にある大正活映(たいしょうかつえい/大正9年4月、大正活動写真株式会社として設立)の撮影所跡が、大正活映撮影所跡。社長は浅野財閥総帥・浅野総一郎の次男、浅野良三(あさのりょうぞう)。跡地の一画に記念碑が立っています。
大正時代、浅野財閥系の映画会社の撮影所があった地
大正活映の本社は山下町31番地(現・横浜市中区元町1-31)で、元町通り沿いにあり、撮影所は本社からジェラールの水屋敷(現・元町公園)に向かう途中にありました。
大正活映撮影所は、文芸顧問に谷崎潤一郎、撮影所長にトーマス・栗原を迎え、栗原監督・谷崎脚本コンビで無声映画を製作、配給。
「かつて米国にあって俳優生活を送った栗原トーマス氏が、我が実業界の泰斗、浅野総一郎氏の後援を得て大正活映株式会社の創立を発表」(『活動画報』大正10年1月号)とあり、浅野総一郎率いる東洋気船の外洋航路(日本で初となる1万トンを越える大型船「天洋丸」、「地洋丸」、「春洋丸」)では、ニューヨーク封切りのフィルムを購入して上映していたので、日本国内でも映画産業が育つだろうと判断したのです。
大正11年、東洋気船の営業不振と、浅野財閥企業の大整理の一環で、松竹キネマに版権を譲渡し、3月公開作品を最後に映画製作を中止しているので、撮影所も短命に終わっていますが、30本もの作品を残し、監督の内田吐夢(うちだとむ)、井上金太郎、二川文太郎(ふたがわぶんたろう/大正14年、無声映画史上の傑作と呼ばれる『雄呂血』を監督)、俳優の岡田時彦、江川宇礼雄、葉山三千子、渡辺篤など多くの映画人を育てています。
大正活映撮影所跡 | |
名称 | 大正活映撮影所跡/たいしょうかつえいさついえじょあと |
所在地 | 神奈川県横浜市中区元町1 |
電車・バスで | みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩5分、JR石川町駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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