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貝殻坂

貝殻坂

神奈川県横浜市中区、横浜元町ショッピングストリートと山手西洋館を結ぶ坂のひとつが、貝殻坂(かいがらざか)。坂道があるのは山手貝塚の一部なので、往時から貝殻が出土していたことが坂の名の由来。元町公園の西縁が額坂(ひたいざか)で、東縁が貝殻坂です。

横浜外国人墓地の脇を上る坂道

大正活映撮影所跡前の分岐を左に取れば水屋敷記念碑を経て貝殻坂へと通じ、右をとれば額坂。
横浜外国人墓地の西縁の道を上り詰めれば貝殻坂で、山手資料館前で山手通りにぶつかり、日本の道100選の碑が立っています。

山手貝塚は貝殻坂周辺にある縄文時代の貝塚で、横浜外国人墓地、元町公園を含めた幅広い一帯に広がっています。
アメリカ山公園からも縄文時代の元町貝塚が発掘されているので、縄文海進期(温暖な縄文時代に海水面が現在から3m〜4m高かった頃)、山手から眼下にする元町一帯はアサリなどが生息する砂底の浅い海だったことがわかります。

ちなみに、日本で初めて正式に発掘された貝塚は、スコットランド出身の考古学者で医師、ニール・ゴードン・マンロー(Neil Gordon Munro/明治26年、横浜ゼネラル・ホスピタル院長に)が明治38年に発掘した横浜の三ツ沢貝塚(横浜市神奈川区)です。

貝殻坂
名称 貝殻坂/かいがらざか
所在地 神奈川県横浜市中区元町1〜山手町
電車・バスで みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩5分、JR石川町駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

横浜外国人墓地

安政6年6月2日(1859年7月1日)の開港後、横浜に居留した外国人の墓地として、横浜の発展に尽くした外国人たちが眠る墓地が横浜外国人墓地。もとはペリー提督の艦隊の中の一隻である「ミシシッピー号」の墜死した水兵を葬ったのが始まりで、ペリーの

元町公園

神奈川県横浜市山手地区の緑豊かな公園で、公園の最上部には山手本通りが通り、本通り沿いのべーリック・ホール、エリスマン邸、山手234番館の横浜山手西洋館3館も敷地内にあります。山手本通りから一歩園内に入れば、ジェラールの水屋敷跡や山手80番館

額坂

神奈川県横浜市中区、横浜元町ショッピングストリートと山手西洋館を結ぶ坂のひとつが、額坂(ひらいざか)。平成27年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『まれ』で土屋太鳳(つちやたお)演じる主人公・希(まれ)が通勤する場面で登場する風情ある坂道

大正活映撮影所跡

神奈川県横浜市中区にある大正活映(たいしょうかつえい/大正9年4月、大正活動写真株式会社として設立)の撮影所跡が、大正活映撮影所跡。社長は浅野財閥総帥・浅野総一郎の次男、浅野良三(あさのりょうぞう)。跡地の一画に記念碑が立っています。大正時

 

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