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柏島石堤

柏島石堤

高知県の西端、高知県幡多郡大月町の柏島にある石造りの護岸が、柏島石堤。江戸時代初期、土佐藩の執政(家老)・野中兼山が7年の歳月を費やして築いた石造防波堤で高知県の史跡。柏島の島民は石堤の横に野中兼山神社を建立し、野中兼山の偉徳を讃えています。

島の海峡側、集落横の2ヶ所に石堤が現存!

豊後水道の出口にあたる柏島は、潮流が激しく、波の力も強いため島の浸食が進んでいました。
承応元年(1652年)~万治元年(1658年)の7年をかけて浸食防止、防波の石堤を構築しています。
島の北東部の集落を包囲して波浪から保護する高さ1間4尺(3m)、幅1間余(2m)、全長6町20間(654m)の堤、そして島の南東端から対岸の半島にむけて、水道の流速を緩和するために延伸した高さ1間半(1.8m)、幅2間(3.6m)、全長2町52間(310m)の堤の2ヶ所です。

この工事の完成で、集落の東側の海は穏やかな湾状となり良漁港となったのです。

現存する防波堤は、その後改修されてはいますが、規模と堤の形状はは当時のままで、基部に野中兼山時代の石組みが残存。
高知県道43号(柏島二ツ石線)の新柏島大橋を渡ったすぐの左手が海峡側の堤、そして柏島郵便局のある集落の海側の堤の2ヶ所です。

柏島石堤
名称 柏島石堤/かしわじまいしづつみ
所在地 高知県幡多郡大月町柏島
ドライブで 松山自動車道西予宇和ICから約108km。または、高知自動車道中土佐ICから約115km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 大月町教育委員会 TEL:0880-73-1118
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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