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祇園橋

衹園橋

熊本県天草市を流れる町山口川に架かる石造橋が祇園橋。天保3年(1842年)建造の石造桁橋で、町山口の祇園神社の前に架かるので祇園橋の名があります。5列9行の角柱45脚で支える日本最大規模の多脚式アーチ型石橋(桁梁円弧型多脚柱付大石橋)で、国の重要文化財に指定。

「切支丹殉教戦二百年祭」に完成した石橋

橋長28.6m、幅員3.35m。
時の庄屋・大谷健之助が発起人となり、地元の有力者である久屋与一平、若松屋次平、叶屋伊平を世話人に、寛永14年(1637年)〜寛永15年(1638年)の島原・天草一揆(島原の乱)から200年後という「切支丹殉教戦二百年祭」を目処(めど)にして着工、完成しています。
地元の伝承では、島原・天草一揆(島原の乱)では、町山口川を挟んで一揆軍(天草四郎軍)と富岡城番代・三宅藤兵衛率いる唐津藩との死闘を展開。
屍(しかばね)が川を堰き止めるほどに埋め尽くしたと伝えられ、祗園橋の袂には大正・昭和に活躍した歌人・橋本徳寿(はしもととくじゅ)の歌碑「町山口川の流れせきとめし殉教者のむくろ数百千にして名をばとゞめず」も立っています(ただし、古文書などの裏付けはありません)。

祇園橋の石材は地元天草産の砂岩、下浦石で(同じ町山口川に架かる石造アーチ橋の山口の施無畏橋も同じ下浦石使用)、石工も下浦の石屋辰右衛門(下浦石工元祖・松室五郎左衛門の技を引く継ぐ石工で、墓は下浦町石場地区共同墓地にあります)。
架橋碑(こちらも国の重要文化財)からは、架橋当時は石橋と呼ばれていたことが判明しています。

河口・本渡瀬戸にも近いため、満潮時には水面に石橋の影を映し、絵になる光景に。

ちなみに、祇園橋「ぎ」の表記は、正しくはネ(しめすへん)に氏で、祇園橋(「祇」)ではありません(ネット上での表示ができないため、祇園と表記しています)。 

祇園橋
名称 祇園橋/ぎおんばし
所在地 熊本県天草市船之尾町1
関連HP 天草市公式ホームページ
ドライブで 九州自動車道松橋ICから約71km
問い合わせ 天草市観光文化部文化課 TEL:0969-32-6784/FAX:0969-23-5312
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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