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豊国神社

京都の東山にある豊国神社(とよくにじんじゃ)。「ほうこく」とも「とよくに」とも呼ばれ、祭神は豊臣秀吉。京は秀吉が大名として統治した場所。秀吉は死後、遺言により東山阿弥陀ヶ峰に葬られ、方広寺の鎮守社である豊國社に祀られましたが、往時の建物は大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後、徳川家康によって取り壊されました。

豊臣秀吉を祀る出世開運の社

豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号は、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が豊國社に祀る際に贈ったもの。
徳川の治世となった江戸時代には神号が廃され、社領は没収されていました。

現在の社殿は、明治13年に再建されたもの。
南禅寺金地院(なんぜんじこんちいん)から移築した重厚な大唐門(だいとうもん)は、伏見城の城門の遺構といわれ、国宝。
京都では「ほうこくさん」と呼ばれることの多い神社の御利益は出世開運で、千成ひょうたん形の開運絵馬を授与してくれます。

境内の宝物館には稲葉山城攻め以来の馬印として知られる千成瓢箪(せんなりびょうたん)、愛用の獏の枕、秀吉の七回忌の祭礼を描いた豊国祭礼図屏風(重要文化財)、愛用の皿、金の宝塔に納められた秀吉の歯など秀吉の遺品が展示されています。
大臼歯と推測できる秀吉の歯から、豊臣秀吉の血液型はO型であることが判明しているのだとか。

旧暦8月18日が祭神・豊臣秀吉の命日で、9月18日が「例祭」となっています。
毎月18日(月命日)には、「豊国さんのおもしろ市」が開かれ、境内の参道は賑わいをみせています。

また、京都十六社朱印めぐりの一社にもなっています。
(京都十六社朱印めぐり=豊国神社、今宮神社、熊野若王子神社、京都熊野神社、新熊野神社、御霊神社、藤森神社 、粟田神社、市比賣神社、岡崎神社、長岡天満宮、御香宮、敷地神社・わら天神、六孫王神社、吉祥院天満宮、西院 春日神社)

幕府をつくらなかった秀吉は尊皇の臣下!?
明治元年、明治天皇が大阪に行幸したとき、秀吉は天下を統一を実現しながら幕府をつくらなかった尊皇の臣下であるとして、豊国神社の再興を布告。
大阪城内にも豊国神社が造られましたが、京都にも豊国神社が再建されたのです。
御神体は家康が豊国神社を破却したとき、ひそかに新日吉神社に遷座したもの。
再建地は秀吉が築いた方広寺の大仏殿の跡地です。
秀吉は1584(天正12)年に従三位権大納言に叙任された際、将軍職も勧められますがこれを固辞し、翌1585(天正13)年、近衛前久の猶子(親子関係を結ぶこと)となって関白宣下を受けています。
さらに1586(天正14)年、正親町天皇から豊臣の姓を賜って、太政大臣(朝廷の最高職)に就任。
これで豊臣政権を確立しています。
つまり、征夷大将軍となって幕府を開くことをめざしたのではなく、関白を選んで、中世に崩壊した摂関政治的な政治を目指していたのかもしれません。
体系的な法制度もありませんでしたが、中央集権的な国家権力を保有し、太閤検地や刀狩令を実施し、中世から近世への橋渡しをしています。
豊国神社は京都の他に、大阪城、近江長浜、名古屋とゆかりの地に鎮座しています。

豊国神社 3つのチェックポイント

豊臣秀吉を祭神とする神社
家康が破壊したものを明治に復興
立身出世にご利益あり!

豊国神社
名称 豊国神社/とよくにじんじゃ
Toyokuni Jinja Shrine
所在地 京都府京都市東山区茶屋町530
関連HP 京都市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅から市バスで7分、博物館三十三間堂前下車、徒歩5分。または、京阪本線七条駅から徒歩5分、京阪本線五条駅から徒歩8分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約7km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 豊国神社 TEL:075-561-3802/FAX:075-531-1643
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

豊国廟

京都府京都市東山区、阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)の山頂にある豊臣秀吉の霊廟が豊国廟。豊臣秀吉を祀る豊国廟と豊国社は、徳川家康によって破壊されましたが、明治13年に修築が始まり、明治30年に阿弥陀ヶ峰の山頂に橿原神宮、平安神宮を手掛けた伊東忠太

方広寺・大仏殿跡(大仏殿跡緑地)

京都市東山区にある天台宗の寺、方広寺。豊臣家を滅亡へと導いた「国家安康」「君臣豊楽」の鐘が有名ですが、現在も地元で「大仏殿」と通称されるように、豊臣秀吉が建立した、大仏があった場所で、大仏殿跡には礎石なども残され、大仏殿跡緑地として整備され

 

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