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上賀茂伝統的建造物群保存地区

上賀茂伝統的建造物群保存地区

京都府京都市北区、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の東側に築かれた室町時代からの歴史ある門前集落(社家町)が、上賀茂伝統的建造物群保存地区に選定。上賀茂神社の境内を流れるならの小川が明神川と名を変えて東に流れ出る一帯に、明神川沿いに上賀茂神社の神官(社司と氏人)が暮らした社家(しゃけ)が建ち並んでいます。

明神川沿いに上賀茂神社の社家が建ち並ぶ

妻飾り社家主屋とこれを囲む土塀や瓦葺きの門、さらには庭園や樹木が静寂な環境を生み出しており、2.7haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。
社家は川に架けられた橋を渡って門を開きなかに入る独特の構造で、明神川の川の水は庭に取り込まれています。

社家町の機能が残されていたのは明治維新までで、明治以降は近郊農村的な性格を強めましたが、現在でもその家並みが奇跡的に残存。
建ち並ぶ50戸のうち6割が伝統的な建造物となっています。

現存する20軒ほどの社家のうち、「西村家別邸」だけは一般公開されていて、庭園や家屋を見学することが可能。
「西村家別邸」は錦部家(にしごりけ)の旧宅で、現存する社家の中で最も昔の面影をとどめる建物です。
庭園は、平安時代末期の養和元年(1181年)、上賀茂神社の神官で別雷社神主・賀茂重保(かものしげやす・藤木重保)が作庭したと伝えられる風流な庭で、「曲水の宴」のために明神川の水を取り込み、庭園に巡らせた後、明神川に戻しています。

明神川の鎮守社が上賀茂神社の末社、藤木社(ふじきのやしろ)で、樹齢500年というクスノキの大木が茂っています。

京都市内にある重伝建(伝統的建造物群保存地区)は、上賀茂(社家町)のほか、産寧坂(門前町)、嵯峨鳥居本(門前町)、祇園新橋(茶屋町)の合計4ヶ所があります。
京都府内には、さらに南丹市美山町北(山村集落)、伊根町伊根浦(漁村)、与謝野町加悦(製織町)があり、合計7ヶ所に。

藤木社のクスノキ
上賀茂伝統的建造物群保存地区
名称 上賀茂伝統的建造物群保存地区/かみがもでんとうてきけんぞうぶつほぞんちく
所在地 京都府京都市北区上賀茂中大路町
関連HP 京都市公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄烏丸線北山駅から徒歩20分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約13km
駐車場 上賀茂神社駐車場(170台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 京都市都市計画局都市景観部景観政策課 TEL:075-222-3397/FAX:075-213-0461
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)

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南丹市美山町北伝統的建造物群保存地区

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