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大徳寺・興臨院

興臨院

京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の塔頭(たっちゅう)が興臨院(こうりんいん)。大永年間(1521年~1528年)に、文人としても名高い能登の守護大名・畠山義総(はたけやまよしふさ)が建立。寺の名は義総の法名、興臨院殿に由来します。通常非公開で春秋に特別公開されています。

春秋の特別公開時に方丈、庭園を拝観

創建時の方丈(本堂)は火災にあって焼失していますが、天文2年(1533年)に再建。
天正9年(1581年)、織田信長から能登一国を与えられ、七尾城主となった前田利家が手を入れ、前田家の菩提寺になています。

檜皮葺き(ひわだぶき)の表門は創建当時のままで、室町時代の禅宗様式を伝える唐門、日本で最初の床の間を有する方丈(本堂)とともに国の重要文化財。
本堂は近年の修理で創建当時の姿に復元されています。

蓬莱(ほうらい=東の海上にある仙人が住む仙境)を表現したという枯山水の方丈前庭は、昭和53年に方丈の解体修理時に資料を基に中根金作(なかねきんさく=中根庭園研究所)が復元したもの。
中国浙江省天台県の天台山国清寺の石橋を模して作庭されています。
国清寺は、隋の時代に創建された古刹で天台宗発祥の地、最澄(さいちょう)が遣唐使で訪れた寺です。

大徳寺・興臨院
名称 大徳寺・興臨院/だいとくじ・こうりんいん
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町80
関連HP 京都市公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅から市バスで40分、大徳寺前下車、徒歩2分で南門。またはJR京都駅から市バスで32分、北大路堀川下車、徒歩8分で南門
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約11km
駐車場 大徳寺駐車場(25台/有料)
問い合わせ 興臨院 TEL:075-491-7636/FAX:075-491-7636
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大徳寺

京都屈指の規模を誇る禅寺、臨済宗大徳寺派の大本山が大徳寺。正和4年(1315年)に大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃しますが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が堺の豪商らの協力で復興しています。

大徳寺・高桐院

京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の塔頭(たっちゅう)のひとつが高桐院(こうとういん)。慶長7年(1602年)頃、千利休七哲の一人、細川忠興(ほそかわただおき)が父・細川幽斎(細川藤孝)の菩提を弔うために創建。方丈南庭

大徳寺・芳春院

京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の塔頭(たっちゅう)が芳春院(ほうしゅんいん)。芳春院は、平成14年放送のNHK大河ドラマ『利家とまつ』のヒロイン、前田利家の夫人、松子の法名で、慶長13年(1608年)、松子(芳春院

大徳寺・三玄院

京都府京都市北区、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が三玄院(さんげんいん)。大徳寺本坊の西にあり、天正17年(1589年)、石田三成、浅野幸長(あさのよしなが)、森忠政(もりただまさ/森蘭丸の弟)による創建。石田三成、森忠

大徳寺・聚光院

京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が聚光院(じゅこういん)。千利休が開祖・笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)のもとに参禅したことから千利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴

大徳寺・総見院

京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が総見院。天正10年(1582年)、本能寺の変の100日後、大徳寺で信長の大葬礼が執り行なわれましたが、一周忌を前に、信長の菩提を弔うため羽柴秀吉が建立し

 

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