大徳寺・三玄院

大徳寺・三玄院

京都府京都市北区、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が三玄院(さんげんいん)。大徳寺本坊の西にあり、天正17年(1589年)、石田三成、浅野幸長(あさのよしなが)、森忠政(もりただまさ/森蘭丸の弟)による創建。石田三成、森忠政、古田織部(古田重然)の墓があります。

非公開寺院なので外観のみ見学を

大徳寺の住持で、今井宗久、千利休などの茶人、古田織部、小堀遠州、黒田長政などの武人とも親交のあった春屋宗園(しゅんおくそうえん)の開山。
慶長4年(1599年)、石田三成が居城・佐和山城の城内に亡母の供養のために瑞嶽寺を建立した際には、春屋宗園に依頼して弟子の薫甫宗忠を住職に任命。
その際、佐和山城に春屋宗園は、弟子の沢庵宗彭(たくあんそうほう)も同行させています。

慶長5年9月15日(1600年10月21日)、関ヶ原の戦いで、石田三成が東軍に破れ、佐和山城が陥落すると、春屋宗園と沢庵宗彭は、無事、佐和山城を脱出して、三玄院に落ち延びています。
石田三成は、10月1日、六条河原で斬首されていますが、その首は三条河原に晒された後、春屋宗園、沢庵宗彭に引き取られ、三玄院に葬られています。

慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で、豊臣方に内通しているという嫌疑をかけられ、大坂落城後に切腹となった古田織部(古田重然)は、大徳寺・玉林庵に葬られていますが、墓地は現在の三玄院境内(興聖寺にも墓があります)。

森忠政は、美作国津山藩の初代藩主となり、慶長21年(1616年)、13年の歳月をかけた津山城が完成。
寛永11年(1634年)、京で体調を崩し(桃に当たっての食中毒と伝承)、三玄院に埋葬されています。

三玄院は、非公開で、特別公開もない拝観謝絶の寺。
外観のみの見学になります。

大徳寺・三玄院
名称 大徳寺・三玄院/だいとくじ・さんげんいん
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町76
電車・バスで JR京都駅から市バスで40分、大徳寺前下車、徒歩5分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約11km
駐車場 大徳寺駐車場(25台/有料)
問い合わせ 大徳寺・三玄院 TEL:075-492-5039
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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