土佐藩主山内家墓所

土佐藩主山内家墓所

高知県高知市筆山町、筆山(ひつざん)の北麓にある土佐藩の大名墓地が土佐藩主山内家墓所。土佐藩20万石を領有した大名山内家歴代の墓所として営まれたもので、慶長10年(1605年)、高知城下屋敷で没した初代藩主・山内一豊(やまうちかつとよ)が筆山に葬られたのが始まり。国の史跡で非公開。

今も山内家が所有し、通常は非公開

寛永12年(1635年)、徳川家光が参勤交代を制度化して以降(2代藩主・山内忠義以降)は、江戸参勤中に亡くなった藩主もその遺骸を国許に持ち帰って葬儀・埋葬する「帰葬」(きそう)と呼ばれる方式が採用され、2代藩主・山内忠義は高知で没していますが、3代藩主・山内忠豊(やまうちただとよ)は江戸で死去し、その遺骸は土佐に運ばれ、筆山に埋葬されています。

幕末の15代・山内豊信(山内容堂=やまうちようどう/墓所は土佐藩江戸下屋敷があった東京・大井公園)を除く、歴代の藩主、そして藩主子女・正室・側室の一部が筆山に葬られ(藩主15人、正室2人、側室1人、子女15人の墓標が確認できます)、菩提寺で、墓所に隣接した曹洞宗の寺、真如寺(しんにょじ)で葬儀・法要が行なわれています。

墓所は、南北130m、東西200m、最上段に藩祖・山内一豊墓、その下段に歴代藩主の墓域を配し、最下段部に子女の墓域を置いています。
墓標、石灯籠、墓の側に藩主の事績を記した亀趺(きふ)が立ち並んで壮観。
亀趺は、4代藩主・山内豊昌(やまうちとよまさ)、7代藩主・山内豊常(やまうちとよつね)、9代藩主・山内豊雍(やまうちとよちか)、11代藩主・山内豊興(やまうちとよおき)のものが残されています。

墓標の形状は初代の塔身が卵形の無縫塔型(むほうとうがた=卵塔型)に始まり,3代藩主・山内忠豊からは位牌型(いはいがた=笠付型)に変化しています。
12代藩主・山内豊資(やまうちとよすけ)、15代藩主・山内豊信(やまうちとよしげ)、16代藩主・山内豊範(やまうちとよのり)は、神仏分離以降の明治時代に没しているため(山内家では世相を反映して、明治3年に仏教から神道に宗旨替え)、神道形式で埋葬されています。

現在、土佐藩主山内家墓所は、公益財団法人土佐山内記念財団が管理し、今も山内家が所有する私有地として非公開(県立高知城歴史博物館主催の特別公開が年数回行なわれています)。

土佐藩主山内家墓所
名称 土佐藩主山内家墓所/とさはんしゅやまうちけぼしょ
所在地 高知県高知市筆山町10
関連HP 高知城歴史博物館公式ホームページ
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高知城は、1601(慶長6)年から10年の歳月を費やし、土佐藩の初代藩主・山内一豊(やまうちかつとよ)が築城した平山城。現存する天守は、1727(享保12)年に城下の大火の延焼で焼失後、1753(宝暦3)年に再建されたもの。天守、詰門、多聞

 

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