大徳寺・聚光院

大徳寺・聚光院

京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が聚光院(じゅこういん)。千利休が開祖・笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)のもとに参禅したことから千利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所があります。通常は非公開なので外観のみ見学可能。

方丈障壁画は国宝(複製を展示)

大徳寺・聚光院
茶室「閑隠席」

永禄9年(1566年)、三好長慶(みよしながよし)の養子・三好義継が、父の菩提を弔うために笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)を開山として建立。
聚光院という名(院号)は、三好長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」に由来しています。
三好長慶は、室町幕府将軍(足利義晴、足利義輝)を京から追放し、織田信長に先駆けて三好政権を樹立した戦国武将で、その子、三好義継は織田信長の上洛に協力し、信長の天下取りに加わりますが、後に反目し、追放された足利義昭を若江(現在の大阪府東大阪市若江南町)で庇護したため、若江城を攻撃されて自刃しています。

桃山時代の方丈建築を代表する方丈、千利休150回忌の寛保元年(1741年)に表千家7世・如心斎が寄進した閑隠席(かんいんせき)、桝床席(ますどこせき)は国の重要文化財。

狩野永徳(かのうえいとく)とその父・狩野松栄の作という方丈障壁画38面(花鳥図16面、琴棋書画図8面、瀟湘八景図8面、竹虎遊猿図6面、附指定=蓮鷺藻魚図8面)は国宝。
オリジナルは保存のため京都国立博物館に寄託され、方丈にはDNP(大日本印刷)のデジタル技術「伝匠美」による高精度の複製画が設置されています(オリジナルには伝統工芸師による金泥加工が施されていますが、複製画は印刷で高精度に再現、経年にともなう虫食いや破損部分はバーチャル補修を実施)。

境内に千利休の墓があるほか、方丈庭園(百積の庭)は、狩野永徳の下絵を元に、千利休が作庭と伝えられる名園で、国の名勝になっています。

大徳寺・聚光院は、「京の冬の旅」などでの特別公開時以外は見学できません(これまでは数年に1回ほどの公開です)。

大徳寺・聚光院
花鳥図16面の一部
大徳寺・聚光院
名称 大徳寺・聚光院/だいとくじ・じゅこういん
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町58
関連HP 京都市公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅から市バスで40分、大徳寺前下車、徒歩2分で南門。またはJR京都駅から市バスで32分、北大路堀川下車、徒歩8分で南門
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約11km
駐車場 大徳寺駐車場(25台/有料)
問い合わせ 大徳寺・聚光院 TEL:075-492-6880
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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