西の四足門・神輿堂

西の四足門・神輿堂

滋賀県長浜市西浅井町、奥琵琶湖の秘境的な集落、菅浦にあるのが西の四足門・神輿堂(にしのしそくもん・みこしどう)。かつて琵琶湖舟運で栄えた菅浦にはこの四足門や石垣など、往時の姿が残され、「菅浦の湖岸集落」として国の重要文化的景観に選定にされています。

国の重要文化的景観を象徴する建物

西の四足門・神輿堂は菅浦の鎮守である須賀神社の参道入口にあり、茅葺きの門が集落の東西に現存しています。
かつてはさらに2ヶ所あり、集落の領域と外界を隔てていました。
神輿堂は、須賀神社の神輿を収納するための施設。

中世から近世に、菅浦には地縁的な自治組織体「惣」が組織され、境界紛争、戦乱や盗賊から身を守っていました。
室町時代の村の規則を定めたもの、隣村の大浦との田地争いの様子がわかる合戦記などが記された鎌倉時代〜江戸時代の菅浦集落の記録である「菅浦文書」(65冊)は、なんと国宝になっているのです。

西の四足門・神輿堂
名称 西の四足門・神輿堂/にしのしそくもん・みこしどう
所在地 滋賀県長浜市西浅井町菅浦
関連HP 長浜観光協会公式ホームページ
ドライブで 北陸自動車道木之本ICから約20km
駐車場 なし
問い合わせ 長浜観光協会北部事務所 TEL:0749-82-5909/FAX:0749-82-5913
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
須賀神社

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滋賀県長浜市西浅井町、かつて琵琶湖の舟運で栄えた、琵琶湖の北岸・菅浦の高台に鎮座する古社が須賀神社(すがじんじゃ)。天平宝字3年(764年)、淳仁天皇が営んだ離宮・保良宮(ほらのみや)として創始されたともいわれ、神社の裏山に淳仁天皇の御陵と

菅浦の湖岸集落

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滋賀県長浜市西浅井町、葛籠尾崎(つづらおざき)の西側の入江の集落が菅浦で、琵琶湖の舟運の拠点として繁栄し、周囲から隔絶した環境だったため独自の文化が育まれ、菅浦の湖岸集落として国の重要文化的景観に選定、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観 – 祈

 

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