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坂本龍馬遭難之地(近江屋跡)

坂本龍馬遭難之地(近江屋跡)

京都市中京区塩屋町にある坂本龍馬が暗殺された近江屋跡が坂本龍馬遭難之地。慶応3年11月15日(1867年12月10日)、海援隊隊長・坂本龍馬と陸援隊長・中岡慎太郎が、河原町通蛸薬師の井口新助が営む醤油屋「近江屋」で、京都見廻組の襲撃を受け殉死した場所です。その日は旧暦11月15日で、坂本龍馬の33歳の誕生日でした。

龍馬が暗殺された近江屋事件はここで!

いわゆる近江屋事件の地で、商店街の軒先に昭和2年に京都市教育会が建てた坂本龍馬遭難之地碑がひっそりと立っています。
実際の近江屋は碑の立つ南隣で、地権者の了承が得られず、北隣に碑があるのです。

10月まで酢屋の2階を海援隊の屯所し、龍馬もそこを宿所にしていましたが、新選組、そして京都見廻組の動きが活発になったことを受けて、土佐藩邸に近い近江屋に拠点を移した矢先でした。
近江屋は醤油商として蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)以降、土佐藩の御用を務めていました。

当時、土佐藩邸は河原町通りを隔てた東側にあり、いざという時には、土佐藩邸に逃げ込むことができると考えたのです(10月15日には、土佐藩が徳川慶喜に建白した大政奉還の勅許が下され、時勢は風雲急を告げていました)。

暗殺される直前の、10月24日には、土佐藩主・山内容堂の書状を手に、越前国福井藩16代藩主・松平春嶽(まつだいらしゅんがく)の上京を促すために越前へ出向き、11月5日に帰京した直後でした。

この近江屋事件に関して、岩倉具視は「何物の凶豎ぞ、我が両腕を奪い去る」と嘆いています。
この両腕とは、もちろん、坂本龍馬と中岡慎太郎のことです。
2人の墓は、京都霊山護国神社が管理する霊山墓地にあります。

坂本龍馬遭難之地(近江屋跡)
名称 坂本龍馬遭難之地(近江屋跡)/さかもとりょうまそうなんのち(おうみやあと)
所在地 京都府京都市中京区塩屋町(河原町通)
関連HP 京都市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 阪急電鉄河原町駅から徒歩4分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約9kmで市営御池駐車場
駐車場 市営御池地下駐車場(1000台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 京都総合観光案内所 TEL:075-343-0548
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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