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大徳寺・総見院

大徳寺・総見院

京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が総見院。天正10年(1582年)、本能寺の変の100日後、大徳寺で信長の大葬礼が執り行なわれましたが、一周忌を前に、信長の菩提を弔うため羽柴秀吉が建立した塔頭(たっちゅう)が総見院です。

特別公開時のみ拝観可能

開祖は、千利休とも親しかった蒲庵古渓(ほあんこけい)。
羽柴秀吉が大徳寺で主君・織田信長の盛大な葬儀を行なった際にも導師を務め、千利休の求めもあり『百箇日法要』も行なっています。
蒲庵古渓は、天正19年(1591年)、豊臣秀長の葬儀の導師を務めるなど、秀吉、千利休とは深い関係にありました。

総見院という名(院号)は、織田信長の法名「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」に由来。

明治初年の廃仏毀釈以降は、管長の住居などになっていましたが、大正時代に復興しています。
境内には信長をはじめ、徳姫(信長の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族7基の五輪石や墓碑が並ぶ織田信長一族供養塔があります。

正門と土塀(塀の内側にもうひとつ塀がある「親子塀」)、鐘楼は天正11年(1583年)の創建当時のものが現存。
高さ三尺八寸(115cm)の等身大で、慶派の仏師・康清(こうせい)が彫った木造織田信長坐像は、国の重要文化財に指定されています。

総見院は春秋、「京の冬の旅」の特別公開時のみ拝観可能(予約制)。

大徳寺・総見院
名称 大徳寺・総見院/だいとくじ・そうけんいん
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町59
関連HP 京都市公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅から市バスで40分、大徳寺前下車、徒歩2分で南門。またはJR京都駅から市バスで32分、北大路堀川下車、徒歩8分で南門
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約11km
駐車場 大徳寺駐車場(25台/有料)
問い合わせ 大徳寺・総見院 TEL:075-492-2630
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大徳寺

京都屈指の規模を誇る禅寺、臨済宗大徳寺派の大本山が大徳寺。正和4年(1315年)に大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃しますが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が堺の豪商らの協力で復興しています。

大徳寺・聚光院

京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が聚光院(じゅこういん)。千利休が開祖・笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)のもとに参禅したことから千利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴

大徳寺・興臨院

京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の塔頭(たっちゅう)が興臨院(こうりんいん)。大永年間(1521年~1528年)に、文人としても名高い能登の守護大名・畠山義総(はたけやまよしふさ)が建立。寺の名は義総の法名、興臨院殿

大徳寺・高桐院

京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の塔頭(たっちゅう)のひとつが高桐院(こうとういん)。慶長7年(1602年)頃、千利休七哲の一人、細川忠興(ほそかわただおき)が父・細川幽斎(細川藤孝)の菩提を弔うために創建。方丈南庭

大徳寺・芳春院

京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の塔頭(たっちゅう)が芳春院(ほうしゅんいん)。芳春院は、平成14年放送のNHK大河ドラマ『利家とまつ』のヒロイン、前田利家の夫人、松子の法名で、慶長13年(1608年)、松子(芳春院

大徳寺・三玄院

京都府京都市北区、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が三玄院(さんげんいん)。大徳寺本坊の西にあり、天正17年(1589年)、石田三成、浅野幸長(あさのよしなが)、森忠政(もりただまさ/森蘭丸の弟)による創建。石田三成、森忠

大徳寺・孤篷庵

京都府京都市北区紫野(むらさきの)、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が孤篷庵。大徳寺の西端に建つ庵で、庵号の「孤篷」は「一艘の苫舟」の意で、小堀遠州(小堀政一)の号。小堀遠州が江月宗玩(こうげつそうがん=津田宗及の子)を開

 

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