京都府京都市東山区、四条大橋の東詰の園地に立つのが、出雲の阿国像(いずものおくにぞう)。斜向いにある南座は、元和年間(1615年〜1624年)に官許されたという歴史ある劇場。一帯が、慶長8年(1603年)、出雲の阿国が歌舞伎踊りを初めて踊った歌舞伎のルーツと伝わっているのです。
出雲大社修繕のために諸国を勧進した阿国の像
出雲の阿国は、出雲大社所属の鍛冶方・中村三右衛門の娘で、慶長8年(1603年)、出雲の阿国という名の女性が率いる芸能集団が、京の都で斬新な踊りを演じたのが歌舞伎のルーツだといわれています。
出雲大社修繕のために諸国を勧進し、浄財(寄付)を集める手段として巫女姿で神楽舞いや念仏踊りを舞い踊ったのです。
しかも単なる踊りではなく、京で美男として有名であった名古屋山三(なごやさんざ)の亡霊を登場させるなど、劇仕立てになっていたので、評判を生みました。
慶長年間(1596年〜1615年)、京で流行した「かぶき者」(傾き者=風変わりな者)の風俗を大胆に取り入れたことから「かぶき踊」と呼ばれたのが始まり。
「かぶき手の第一」(『当代記』)といわれたのは、公家たちから「天下無双」の美男と称された織田信長の甥・織田左門頼長(道八)で、「天下一」の茶人だった古田織部(ふるたおりべ)が好んだ奇抜で大胆な意匠の茶道具も「かぶき精神」を数寄(すき)の世界で表現したものだと推測できます。
『当代記』の慶長8年(1603年)4月の条には、
「此頃カフキ踊ト云事有出雲國神子女名ハ國 <但非好女>出仕京都ヘ上ル縱ハ異風ナル男ノマネヲシテ刀脇差衣裝以下殊異相也彼男茶屋ノ女ト戲ル體有難クシタリ京中ノ上下賞翫スル事不斜伏見城ヘモ參上シ度々躍ル其後學之カブキノ座イクラモ有テ諸國エ下ル江戸右大將秀忠公ハ不見給」
と記されています。
『当代記』は、寛永年間(1624年〜1644年)成立の史書で、それ以前の同時代性の記録としては、天正15年(1587年)〜寛永16年(1639年)に至る公家・西洞院時慶(にしのとういんときよし)の日記『時慶卿記』の慶長5年7月1日(1600年8月9日)の条に、
「近衞殿ニテ晩迄雲州ノヤヤコ跳一人ハクニト云菊ト云二人其外座ノ衆男女十人計在之」と記されています。
それらの記録から出雲の国(クニ)が京で一世を風靡したことがわかり、当時官許の劇場があったのは四条河原ということで、四条河原が歌舞伎発祥の地となっているのです。
四条大橋の東詰の出雲の阿国像は、山﨑正義制作で、平成6年に設置。
出雲の阿国像は、故郷である島根県出雲市大社町の「道の駅大社ご縁広場」の園地、出雲空港(出雲縁結び空港)にも置かれていますが、いずれも山﨑正義制作。
ルーツは、出雲空港(JR出雲市駅構内から移設)の像です。
出雲の阿国像 | |
名称 | 出雲の阿国像/いずものおくにぞう |
所在地 | 京都府京都市東山区川端町川端四条 |
電車・バスで | 京阪電鉄衹園四条駅からすぐ。阪急電鉄京都河原町駅から徒歩3分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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