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芭蕉翁記念館

芭蕉翁記念館

三重県伊賀市にある俳聖・松尾芭蕉を顕彰するミュージアムが芭蕉翁記念館。松尾芭蕉は、正保元年(1644年)、伊賀上野で生誕。昭和34年に建てられた記念館は、校倉様式を取り入れた高床式の鉄筋コンクリートの建物に、収集した資料の展示室が設けられています。

伊賀市の中心部、上野公園(伊賀上野城)内に建つ

黒部ダム、御母衣ダム工事などを手がけた間組の社長・神部満之助(かんべまんのすけ/昭和20年に社長に就任、俳人)の寄付をもとに建設された記念館(間組の手で建設、 寄付)。
単に芭蕉に関する資料収集や保存だけでなく、芭蕉文庫を設け、俳諧、俳文学に関する文献を収蔵。
貸し出しや、芭蕉文学講座を開講するなど多様な活動を展開しています。

毎年芭蕉の命日(元禄7年10月12日没)である10月12日には『芭蕉祭』が開かれ、全国俳句大会や芭蕉翁遺跡参観などを実施。

伊賀上野一帯の芭蕉関連の俳蹟・句碑巡りのビジターセンター的な役割もあり、ここで芭蕉に関する知識をインプットしてから芭蕉翁生家、松尾家の菩提寺である愛染院(遍光山願成寺)、芭蕉翁の旅姿をあらわす聖堂「俳聖殿」、芭蕉が江戸に出る際、処女作『貝おほひ』を献納した氏神の上野天神宮(菅原神社)、芭蕉の門人 ・服部土芳の庵「蓑虫庵」などゆかりの史跡を巡るのもおすすめです。

ちなみに、完成から年月が経っていることもあり、上野図書館の建物を活用し、新芭蕉記念館を整備する計画が進行しています。

芭蕉翁記念館
名称 芭蕉翁記念館/ばしょうおうきねんかん
所在地 三重県伊賀市上野丸之内117-13
関連HP 伊賀上野観光協会公式ホームページ
電車・バスで 近鉄上野市駅から徒歩5分
ドライブで 名阪国道上野東ICから約2.2km
駐車場 上野公園駐車場(60台/有料)
問い合わせ 芭蕉翁記念館 TEL:0595-21-2219
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

俳聖殿

俳聖殿(はいせいでん)は、昭和17年に松尾芭蕉生誕300年を記念し、現・伊賀上野城天守の建築に奔走した川崎克(かわさきかつ)が私費を投じて三重県伊賀市に建てられた施設。伊賀上野出身の俳聖・松尾芭蕉を顕彰するために建てられた建物の初層は八角、

芭蕉翁生家

松尾芭蕉(まつおばしょう)は正保元年(1644年)に伊賀上野(現・三重県上野市赤坂町)に生誕。松尾家は農家でしたが、松尾の苗字を許された家柄。侍大将・藤堂良清の嗣子・良忠(俳号は蝉吟)に仕え、藤堂良忠とともに俳諧の道に入りました。故郷、伊賀

蓑虫庵

松尾芭蕉の故郷、伊賀上野(三重県伊賀市)には「芭蕉五庵」(無名庵・蓑虫庵・東麓庵・西麓庵・瓢竹庵)と呼ばれる芭蕉にゆかりの5ヶ所の草庵がありましたが唯一現存するのが蓑虫庵(みのむしあん)。貞享5年(1688年)、芭蕉の門人である服部土芳(は

伊賀上野城

1581(天正9)年に伊勢に侵攻した織田信雄(おだのぶかつ=信長の次男)の家臣・滝川雄利が平清盛が建立と伝わる平楽寺跡に城郭を築いたのが伊賀上野城の創始。1608(慶長13)年、伊賀・伊勢両藩の藩主となった藤堂高虎は津城には手を加えなかった

江東区芭蕉記念館

東京都江東区常盤1丁目、松尾芭蕉の江戸生活の拠点・深川芭蕉庵跡の北に建つのが、江東区芭蕉記念館。芭蕉が蕉風俳諧を確立した句として有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」も深川芭蕉庵での句会で詠まれたもので、『野ざらし紀行』、『奥の細道』も旅もこの深

 

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